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本窯跡は、農道建設に際し平成4年から6年にかけて発掘調査が行われたました。窯跡は長興寺山東麓を利用して構築され、発掘調査では登窯2基、工房と考えられる建物跡1軒、土坑6基が発見されました。
第1号窯跡は、全長8.8m、最大幅4mの規模をもち、焚口・胴木間・捨間・一の間から五の間までの各房が設けられています。第2号窯跡は、全長13.2m、最大幅4.5mの規模をもち、焚口・胴木間・捨間・一の間から七の間までの各房が設けられ、窯尻には煙出しの施設があります。第1号窯跡、第2号窯跡ともに有段連房縦挟間窯で保存状態は良好です。
洗馬焼は、江戸時代から大正時代初期にかけて洗馬元町・上組を中心として生産された焼き物の総称です。従来、中川窯・信斎窯等の存在が知られていましたが、本窯跡は発掘によってその実態が明らかにされた初めてのものです。