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中山道の面影が偲ばれる東山地籍の犬飼清水と茶屋本陣との中間に一基の一里塚が現存しています。「東山一里塚」は、幅12m、奥行13m、高さ4mの塚です。
一里塚は、慶長9(1604)年将軍徳川家康の命により各街道に築かれました。江戸の日本橋を基点として36町を一里とし、一里ごとに道の両側に塚をつくり、塚の上にはエノキなどを植えて、遠くからも見える道程標とし、旅人の便宜を図りました。
中山道は初め塩尻市内は通らず、桜沢口から牛首峠を経由して小野に出て、小野峠、諏訪へと続いていましたが、元和2(1616)年から本山~洗馬~塩尻宿を通り、塩尻峠へ至る路線に変更され、この一里塚もこの頃の築造かと思われます。
一里塚は、明治以後は道路の拡幅、新道の開通などのほか、エノキの枯死等で次第に消失し、現状残すのは数少なくなっています。街道と宿の町塩尻の面影を残す遺跡として貴重なものです。