本文
高札場は制札、御判形等ともいって、高札を掲げた場所であり、中世末期から要所に設けられましたが、江戸時代には全国に普及し、五街道の宿場や村々の庄屋(名主)宅の前などの、民衆の注目をひきやすいところに設けられました。
岩垂の高札場ですが、近世の岩垂村が元禄4年(1691)に天領(幕府領)と高遠領とに分郷したことに関係すると思われますが、石組の上に建ち、大きく立派で、用材や屋根もしっかりしており、天領と高遠領との各名主宅からほぼ等距離の位置に建っています。
現存のものについて明確な記録は残っていませんが、文政から嘉永の間の修理されたものと推定され、市内の高札場としては、唯一の旧態を保つ大切な文化財です。