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この半鐘は、無量寺の第五世随誉聖順のとき、享保8年(1724)7月1日、自己の所持金と信徒からの浄財とにより、松本の鋳造師浜伊右衛門によって鋳造されています。毎日、朝・昼・夕の三回鳴らされていました。干ばつの年には番水の合図のために鳴らされていました。
第二次世界大戦中、金物が供出されたとき、この半鐘は警鐘として火の見櫓に吊るされ、以前からの警鐘が身代わりとなって供出されました。終戦後、新しく警鐘が購入され、この半鐘はもとの位置である本堂の縁先に戻されました。