本文
観音堂 外観 観音堂 彫刻
永福寺観音堂は、真言宗の寺院である永福寺の境内にあり、近世の名工として名高い諏訪の大工棟梁「立川流和四郎」2代目和四郎富昌の作です。安政2年(1855)より建て始められましたが、富昌は翌安政3年11月、彫刻用材として境内の大ケヤキを切り倒す際にその枝に当たり、不慮の死を遂げました。その後、工事は3代目和四郎富重が受け継ぎ、4年後の万延元年(1860)に完成しました。
向拝には、象・唐獅子の木鼻をつけ、組物は皿斗付き連三斗とし、水引虹梁上には龍の彫刻がのり、母屋とは海老虹梁で繋ぎ、牡丹の手挟み(たばさみ)を入れています。これら木鼻や手挾み、龍の彫刻などは立川流の特色をよく示しており、また、海老虹梁にみられる波・千鳥の彫刻はのびのびとした動きのある作品に仕上がっています。