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戦後間もない頃、昭和24年(1949)秋、平出遺跡内の畑から川上茂登氏により偶然発見されたもので、その後地元の小学校教諭であった原嘉藤氏により注目され、この水瓶が発端となり昭和25・26年(1950・1951)には平出遺跡の大規模な発掘調査が実施されました。
形状としては、高さ23cm、口径7.5cm、底径9.1cmの張りのあるふくよかな胴部、ラッパ状に大きく開いた頸部、肩から斜め上に突き出した注口がありますが、把手は壊れて、失われていました。平安時代に祭事の道具として使用されたと思われ、全体に緑釉がかけられた逸品で美濃地方の東農地域で焼かれたものと考えられています。