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柴宮銅鐸は昭和35年(1960)に塩尻市大門三番町の大門神社境内に建築中であった大門保育園の建設工事中に地表下36cmのソフトローム層中から、弥生時代後期土器および須恵器などの土器片、3個の自然石とともに偶然発見されました。高さ64cm、重さ8.5kgで、わずかな損傷はみられるものの、ほぼ完成形です。三遠式(さんえんしき)とよばれる東海地方を中心に分布する種類の銅鐸で、東海地方との強いつながりを感じることができます。
長野県は銅鐸分布圏には含まれていないとされていた学説を覆す大発見で、銅鐸分布の東北限にあたる銅鐸として大いに注目されました。現在では中野市の柳沢遺跡から発見された銅鐸が東北限とされています。