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外観 内観
島木赤彦寓居は、かつて善光寺街道と呼ばれた、現在の県道294号線沿いに建っていた本棟造の建物(太田家住宅)の上座敷角屋部分にあたります。
太田家は、この地域を代表する旧家・豪農で、近世より街道を通る牛車の人たちを泊めていたことから、いつしか「牛屋」の屋号で呼ばれるようになり、明治期には近くの広丘尋常高等小学校(現塩尻市立広丘小学校)の校長を住まわせていたこともありました。
明治・大正期に活躍したアララギ派の代表的歌人である島木赤彦もその一人で、彼が明治42年(1909)4月から44年(1911)3月まで校長として赴任した際に、上座敷部分を仮住まいとしていました。
赤彦は校長業務の一方、ここで短歌を愛する村の青年たちへの指導や歌会の開催などをして交流をはかりました。
この建物が赤彦個人や短歌の里広丘に与えた影響は非常に大きいといえます。