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塩尻市のこと、もっとまなぼう

ページID:0007777 更新日:2021年7月28日更新 印刷ページ表示

税金(ぜいきん)をあつめる塩尻市が、どんなまちなのかを小学生向けに紹介しています。

もくじ

パンダ

お父さんやお母さんが税金(ぜいきん)を納(おさ)める「塩尻市」。
このページを読んで、塩尻市のことにもっと詳(くわ)しくなろう!

塩尻市ってどんなまち

塩尻市の自然

塩尻市の歴史

塩尻市ってどこにあるの?

塩尻市は、日本のほぼ真ん中

塩尻市は、松本盆地(まつもとぼんち)の南のはしにあります。
日本や長野県のほぼまんなかにあります。
おうぎがたの土地(とち)で、北をのぞく3つのほうこうを、山にかこまれています。
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塩尻市のとなりのまち

塩尻市は、つぎの9つの市町村(しちょうそん)と、となりあっています。

  • 松本市(まつもとし)
  • 朝日村(あさひむら)
  • 山形村(やまがたむら)
  • 岡谷市(おかやし)
  • 辰野町(たつのまち)
  • 南箕輪村(みなみみのわむら)
  • 伊那市(いなし)
  • 木祖村(きそむら)
  • 木曽町(きそまち)

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塩尻市の人口、大きさ

塩尻市の人口

平成27年の国勢調査(こくせいちょうさ。日本こくみんぜんいんのせいかつなどをしらべるちょうさ)によると、塩尻市の人口は、67,135人でした。
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塩尻市のおおきさ

塩尻市のおおきさは、東西(とうざい)17.7キロメートル、南北(なんぼく)37.8キロメートル、めんせきは290.18へいほうキロメートルです。
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どうして「塩尻市」っていうの?

塩尻市のなまえのゆらい

「塩尻(しおじり)」というなまえのゆらいは、いくつかかんがえがありますがゆうめいなものは、塩尻市のばしょが、海から塩をはこぶ「塩の道」のおわりのばしょだったことから、「さいご」といういみがある「尻」ということばをつかって、塩の尻、塩尻になったといわれています。

 

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塩尻市のマーク、市の花など

塩尻市のマーク

塩尻市のマークは、カタカナの「ホ」を4つつなげたかたちをしています。
むかしは今のように、ひらがなやカタカナがあまりつかわれていなくて、漢字だけのぶんしょうに、よみがなをつけてよんでいました。
塩尻は「シホジリ」とよみがながつけられ、シホジリの「シホ」と4つのホ「シ(4)ホ」をかけたものとなっています。
また、「ホ」という字には、稲穂(いなほ)のホなど、みのりがおおいといういみがこめられています。

塩尻市の市章

塩尻市の花

日本のまちでは、そのまちにくらす人がしたしんでいる花を、まちの花としてきめています。
塩尻市の花はキキョウです。
キキョウは、秋の七草(ななくさ)のひとつとしてしたしまれています。また、夏の高原(こうげん)にあおむらさきいろの花をつけるすがたが、むかしから人々にしたしまれています。

桔梗

塩尻市の木

日本のまちでは、そのまちにくらす人がしたしんでいる木を、まちの木としてきめています。
塩尻市の木は、イチイです。
じょうひんでしたしみやすいため、たくさんの家の庭にうえられています。

いちい

 

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塩尻市の姉妹都市(しまいとし)

姉妹都市(しまいとし)ってなに?

姉妹都市とは、きょうだいやしまいのようになかよくすることをやくそくしたまちのことです。
塩尻市は、つぎのまちと姉妹都市になっています。
まいとし、市民がおたがいのまちをおとずれたり、まちの特産品(とくさんひん)をおたがいにしょうかいしたりして、いろいろなこうりゅうをしています。

新潟県糸魚川市(にいがたけんいといがわし)

糸魚川市は、新潟県のもっとも西にある市です。海や山、渓谷(けいこく)、温泉(おんせん)など、ゆたかな自然にめぐまれています。
かいすいよくやスキー、温泉などをたのしみに、おおぜいの人がおとずれます。
また、ヒスイや石灰石(せっかいせき)などの鉱物(こうぶつ)や水がゆたかで、フォッサマグナミュージアムでは、それらの展示(てんじ)をみてまなぶことができます。
糸魚川市と塩尻市は、昭和(しょうわ)59年8月25日に姉妹都市になりました。

糸魚川市のひすいきょうの画像
​糸魚川市のひすいきょう

静岡県南伊豆町(しずおかけんみなみいずまち)

南伊豆町は、伊豆半島(いずはんとう)のいちばん南(みなみ)にあるまちです。まちがまるごと観光地(かんこうち)になっていて、下賀茂温泉(しもかもおんせん)や弓ヶ浜(ゆみがはま)、石廊崎(いろうざき)、奥石廊(おくいろう)などがゆうめいです。1ねんかんの平均気温(へいきんきおん)が17どあり、塩尻市よりあたたかい気候(きこう)です。
温泉のねつをつかって、南国(なんごく)のくだものなどもつくられています。
南伊豆町と塩尻市は、昭和(しょうわ)53年7月20日に姉妹都市になりました。

南伊豆町の奥石廊崎(おくいろうざき)の画像
南伊豆町の奥石廊崎(おくいろうざき)

静岡県袋井市(しずおかけんふくろいし)

袋井市は、静岡県の西(にし)のほうにある市です。たいらな土地(とち)がひろく、田園(でんえん)と茶畑(ちゃばたけ)がひろがるうつくしいけしきがみられます。太田川(おおたがわ)や遠州灘(えんしゅうなだ)など、自然(しぜん)にもめぐまれています。
気候(きこう)は、あたたかくて湿度(しつど)がたかく、雨の日がおおいのがとくちょうです。
クラウンメロンやお茶、おさけなどがゆうめいです。
袋井市と塩尻市は、平成(へいせい)22年10月23日に姉妹都市になりました。

袋井市の油山寺三重搭(ゆさんじさんじゅうのとう)の画像
袋井市の油山寺三重搭(ゆさんじさんじゅうのとう)

アメリカ合衆国(がっしゅうこく)インディアナ州(しゅう)ミシャワカ市

ミシャワカ市は、アメリカ合衆国インディアナ州の北(きた)のはしにある市です。5大湖(ごだいこ)のひとつであるミシガン湖やシカゴのちかくです。
山のない、たいらなまちで、トウモロコシ、だいず、こむぎなどが、とてもひろいはたけにつくられています。セントジョセフ川には、サケやホタルがたくさんいます。
おおきな公園(こうえん)が30かしょもあり、そのなかには、「しおじりの庭(にわ)」という公園もあります。しおじりの庭には、塩尻市からおくられたサクラの木がうえられています。
ミシャワカ市と塩尻市は、昭和(しょうわ)47年6月5日に姉妹都市になりました。

ミシャワカ市のマークの画像
ミシャワカ市のマーク

 

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しおじり自慢(じまん)!

うつくしいけしきがひろがる「高ボッチ高原(たかぼっちこうげん)」

高ボッチ高原は、ひょうこう(海からのたかさ)が1,665メートルにある、なだらかな高原です。
北アルプス、南アルプス、中央アルプス、八ヶ岳連峰(やつがたけれんぽう)、富士山などがみえ、とてもうつくしいけしきがひろがります。そのため、「日本一のシャッターポイント」ともいわれ、全国からたくさんのカメラマンが、写真をとりにやってきます。
また、レンゲツツジやマツムシソウなど、高原のしょくぶつがたくさん花をさかせ、「おとめの高原」ともいわれています。まいとし8月には、草競馬大会(くさけいばたいかい)がおこなわれ、競走馬(きょうそうば)やポニーのレースをみに、たくさんの人がおとずれます。この草競馬大会は、日本一たかいところでおこなわれる大会です。

どうして「高ボッチ」っていうの?

高ボッチというおもしろいなまえのゆらいは、たくさんあります。

  • 「だいだらぼっち」、「でいだらぼっち」という巨人(きょじん)が、こしをおろしてひとやすみしたといういいつたえ
  • アイヌ語で巨人、巨大(きょだい)を「ボッチ」ということから、おおきな山をあらわしているという説(せつ)
  • 高いところにある「くぼち(ボッチ)」といういみからなまえがついたという説(せつ)

などがあります。みなさんは、どれがほんとうだとおもいますか?

高ボッチ高原の画像
高ボッチ高原

高ボッチ高原草競馬の画像
高ボッチ高原草競馬

川がわかれるところ「分水嶺(ぶんすいれい)」

水は、わたしたちのくらしになくてはならないものです。
塩尻市は、むかしから水がゆたかで、人々のくらしをささえてきました。
分水嶺は、川がはじまるところで、太平洋(たいへいよう)につながる川と、日本海(にほんかい)につながる川がわかれるところです。
塩尻市には、日本海につながる信濃川水系(しなのがわすいけい)の「奈良井川(ならいがわ)」「田川(たがわ)」、太平洋につながる天竜川水系(てんりゅうがわすいけい)の「小野川(おのがわ)」がながれています。塩尻市にある塩尻峠(しおじりとうげ)、うとう峠、鳥井峠(とりいとうげ)は、これらの川がはじまるところです。

水のわかれ川

しおじり市の地名(ちめい)がついたさくら「カタオカザクラ」

みなさんは、しおじり市の地名がついたさくらのしゅるいがあることをしっていますか?
昭和20年に、片丘(かたおか)小学校の教師(きょうし)だった久保田秀夫(くぼたひでお)さんが、片丘地区の山で、40センチ~50センチのちいさな木が、さくらの花をさかせているのをみつけました。そして、このさくらが新種(しんしゅ)であることがわかり、片丘地区のなまえをとって「カタオカザクラ」となづけられました。

しおじり市の地名(ちめい)がついたさくら「カタオカザクラ」の画像

「ツルツル」たべるそばは、塩尻市でうまれた!

みなさんは、「そば」ときいて、どんなものをそうぞうしますか?ほそながいめんをつるつるたべるものですよね。
じつは、このそばのたべかたは、塩尻市がはじまりだということをしっていますか?
江戸時代のはじめまでは、そばは、だんごのようなかたまりでたべられていました。それを、はじめてほそながくきり、「そばきり」としてたべはじめたのが、宗賀地区(そうがちく)の本山(もとやま)のそばです。江戸時代、本山におとずれた旅人(たびびと)たちが、この本山のそばを全国につたえて、いまのそばがひろまったといわれています。

そば切り

塩尻市は、ブドウづくりにむいている!

太陽がでているじかんがながくて、雨がすくない塩尻市の気候(きこう)は、ぶどうづくりにむいています。
JR塩尻駅の西がわにひろがる「桔梗ヶ原(ききょうがはら)」は、ゆうめいなブドウの産地(さんち)です。
ナイヤガラ、コンコード、デラウェア、ポートランド、巨峰(きょほう)、メルロー、シャルドネなど、いろんなしゅるいのブドウがつくられています。

いつからブドウづくりがはじまったの?

塩尻市のブドウづくりは、明治23年に、豊島 理喜治(とよしま りきじ)さんが、桔梗ヶ原のやく1ヘクタールの土地(とち)に、ナイヤガラやコンコードなど、やく3,000本のぶどうをうえたことからはじまりました。さいしょのうちは、ブドウが病気になってしったりして、なかなかうまくそだたなかったのですが、つくりかたの工夫(くふう)をくりかえし、いまのようにたくさんつくられるようになりました。

塩尻市の特産品(とくさんひん)「ナイヤガラ」

塩尻市では、たくさんのしゅるいのブドウがつくられていますが、そのなかでも、塩尻市の特産品(とくさんひん)は、「ナイヤガラ」です。
ナイヤガラは「白ブドウ」とよばれ、むかしからしおじりのみなさんにしたしまれていましたが、とおくのまちにはこぶことがむずかしかったため、県外の人には、あまりしられていませんでした。いまでは、東京などのおおきなまちにも出荷(しゅっか)され、きれいな色とおいしさから、「緑の宝石(みどりのほうせき)」とよばれています。
ブドウ狩り(ぶどうがり)のじきには、塩尻市のブドウ園にたくさんの人がおとずれ、もぎたてのブドウをあじわっています。

しっているかな?おいしいブドウのしらべかた

ブドウの房(ふさ)のなかで、いちばんあまいのはどのぶぶんだとおもいますか?
じつは、えだにぶらさがっている、上のぶぶんが、いちばんあまいんです。はんたいに、いちばん下についている粒(つぶ)は、房のなかで、いちばんあまくないということです。
なので、房のいちばん下についている粒をたべてみて、あまくておいしければ、ほかのぶぶんはもっとあまいということがわかります。
ブドウをたべるときには、ぜひ、ためしてみてね。

ナイアガラ

世界(せかい)でひょうかされる塩尻市のワイン

おいしいブドウがたくさんとれる塩尻市では、ブドウからつくるワインも、おいしくてゆうめいです。
塩尻市でワインづくりがはじまったのは、明治31年です。いまでは、16かしょのワイナリー(ワインをつくるところ)と、1かしょの高校でワインをつくっています。
塩尻市のワインは、おいしくて品質(ひんしつ)がよいので、世界や日本のワインコンクールで、たかくひょうかされています。

世界(せかい)でひょうかされる塩尻市のワインの画像

せかいてきにゆうめいな、塩尻市の漆器(しっき)

楢川地区(ならかわちく)の木曽平沢(きそひらさわ)のまちには、たくさんの木曽漆器(きそしっき)のおみせがあり、漆塗り(うるしぬり)のはしや食器(しょっき)などがてづくりでつくられ、全国に出荷(しゅっか)されています。また、1998年の長野冬季(とうき)オリンピックでは、漆をつかったメダルがつくられ、木曽漆器(きそしっき)は、せかいてきにゆうめいになりました。
木曽漆器は、やく600年まえにつくられはじめ、木曽平沢には、やく450年まえにつたえられたといわれています。
楢川地区には、漆器のざいりょうになる木曽ヒノキがたくさんあり、また、漆器づくりにむいた気候(きこう)だったので、漆器のまちとしてはってんしました。

漆器のことを、英語(えいご)ではなんていう?

漆器のうつくしさは、がいこくの人にもたかくひょうかされています。
日本どくとくの色づかいやデザインから、漆器は、英語で「ジャパン(日本といういみ)」とよばれています。

漆器のおさらとはしの画像
漆器のおさらとはし

うるしをつかったオリンピックのメダルの画像
うるしをつかったオリンピックのメダル

日本三大遺跡(にほんさんだいいせき)のひとつ「平出遺跡(ひらいでいせき)」

平出遺跡(ひらいでいせき)は、おおむかし、縄文時代(じょうもんじだい)から平安時代(へいあんじだい)にかけて人がすんでいたむらのいせき(むかし、たてものなどがあったところ)で、静岡県にある「登呂遺跡(とろいせき)」、長野県茅野市(ちのし)にある「尖石遺跡(とがりいしいせき)」とならんで、日本三大遺跡とよばれています。
昭和25年からは、考古学者(こうこがくしゃ)など、いろいろな研究者(けんきゅうしゃ)があつまり、発掘(はっくつ)ちょうさがおこなわれました。このちょうさで、250けんのたてものや、たくさんの土器(どき)、石器(せっき)がみつかりました。
昭和27年には、国の史跡(しせき)にしていされました。
いまは、おおむかしのくらしを復元(ふくげん)した平出遺跡公園がつくられ、おおむかしの人のくらしをそうぞうすることができます。また、平出博物館(ひらいではくぶつかん)では、平出遺跡などで発掘された土器などをみることができます。

日本三大遺跡(にほんさんだいいせき)のひとつ「平出遺跡(ひらいでいせき)」の画像

短歌(たんか)のまち、塩尻市

まだ塩尻市ができるまえの明治時代、いまの広丘地区(ひろおかちく)は、広丘村(ひろおかむら)という村でした。
この広丘村には、ゆうめいな歌人(かじん。短歌をつくるひとのこと)がたくさんいました。
「潮音(ちょうおん)」や「アララギ」というゆうめいな本をつくった太田水穂(おおたみずほ)、島木赤彦(しまきあかひこ)、若山牧水(わかやまぼくすい)、四賀光子(しがみつこ)、若山喜志子(わかやまきしこ)、潮みどり(うしおみどり)、窪田空穂(くぼたうつぼ)、吉江孤雁(よしえこがん)といったゆうめいな歌人が、たくさんの短歌をつくっていました。
こうして、短歌は、塩尻市のみなさんにしたしまれるようになり、学校のじゅぎょうでも、短歌をつくったりしています。JR広丘駅のまわりには、いろんなに短歌をきざんだ石碑(せきひ)がたてられています。
また、塩尻短歌館(しおじりたんかかん)では、むかしながらのたてもののなかに、きちょうなしりょうなどがてんじされています。
まいとし10月におこなわれる「全国短歌フォーラムin塩尻(ぜんこくたんかふぉーらむいんしおじり)」では、全国からやく2万もの短歌があつまり、こどもからおとしよりまで、じまんの短歌をはっぴょうします。

塩尻短歌館(しおじりたんかかん)の画像
塩尻短歌館(しおじりたんかかん)

全国短歌フォーラムin塩尻の画像
全国短歌フォーラムin塩尻

 

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塩尻市の産業(さんぎょう)

塩尻市は、日本のまんなかにあるので、いろんなまちにいきやすく、ものをはこびやすいというとくちょうがあります。このとくちょうをいかして、やさいなどを全国に出荷(しゅっか)しています。

レタス

土の水はけがよく、しっかりしていて、朝と夜の気温(きおん)のさがおおきい塩尻市では、おいしいレタスがそだちます。塩尻市のレタスの収穫量(しゅうかくりょう)は全国でもトップクラスで、1年間でやく2万5000トンが収穫されています。

ブドウ

明治23年に、3千本の苗木(なえぎ)が桔梗ヶ原(ききょうがはら)にうえられ、塩尻市でのブドウづくりがはじまりました。たいようがあたる時間がながく、朝と夜の気温のさがおおきい塩尻市では、おいしいブドウがそだちます。1年間でやく4000トンのブドウが収穫(しゅうかく)されています。

ブドウの画像

塩尻市の工業(こうぎょう)

塩尻市は、日本のまんなかにあり、いろんなまちにいきやすく、ものをはこびやすいというとくちょうがあります。このとくちょうをいかして、時計(とけい)や部品(ぶひん)などをつくる製造業(せいぞうぎょう)をちゅうしんに、ものづくりのまちとしてはってんしてきました。
塩尻市には、「角前産業団地(かくまえさんぎょうだんち)」、「塩尻インター林間工業団地(しおじりいんたーりんかんこうぎょうだんち)」、「塩尻アルプス工業団地(しおじりあるぷすこうぎょうだんち)」、「堅石原工業団地(かたいしはらこうぎょうだんち)」、「今泉南テクノヒルズ産業団地(いまいずみみなみてくのひるずさんぎょうだんち)」という5かしょの産業団地(たくさんの会社(かいしゃ)や工場(こうじょう)があつまるところ)があります。
また、JRしおじり駅のちかくにある塩尻インキュベーションプラザでは、ITのけんきゅう、かいはつがおこなわれています。

市内の工場(こうじょう)の画像
市内の工場(こうじょう)

塩尻インキュベーションプラザの画像
塩尻インキュベーションプラザ

 

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塩尻市のしぜんのとくちょう

塩尻市の気候(きこう)

塩尻市の気候(きこう)は、雨がすくなく、あついときと、さむいときの気温(きおん)のさがおおきいことがとくちょうです。
雨がふるりょうは、1年かんでやく1,200ミリメートルです。(全国のへいきんは、やく1,600ミリメートル)
くうきはかんそうしていて、夏はすずしくてさわやかですが、冬はゆきがすくなく、とてもさむくなります。
塩尻市には、森林(しんりん)がたくさん!
山にかこまれている塩尻市は、森林(しんりん)がたくさんあります。
森林のひろさは、塩尻市ぜんたいのやく75%もあります。
ちなみに、みんさんの家やどうろ、こうえんなどがある、まちのひろさは、塩尻市ぜんたいのやく9%くらいしかありません。

森林には、とてもだいじなやくわりがある!

森林には、雨水(あまみず)をたくわえて川をつくったり、土砂崩れ(どしゃくずれ)をふせいだりするやくわりがあります。
また、たくさんのいきもののすみかになったり、みなさんの遊び場(あそびば)になったりもします。

森林のげんきがなくなっている!?

むかしは、たてものをたてるときや、おふろをわかすときなどに、木をつかっていたので、森林は、きれいにかんりされていました。
しかし、わたしたちのくらしがかわって、さいきんでは、森林がかんりされなくなり、枯(か)れてしまったり、荒(あ)れてしまったりすることがふえています。
こうした森林がふえることで、森林のげんきが、だんだんなくなり、だいじなやくわりが、はたせなくなってしまうのではないかと、しんぱいされています。

塩尻市の森林(しんりん)の画像
塩尻市の森林(しんりん)

塩尻市は水がゆたか!

水は、わたしたちのくらしに、なくてはならないものです。
塩尻市は、むかしから水がゆたかで、人々のくらしをささえてきました。
分水嶺(ぶんすいれい)は、太平洋(たいへいよう)につながる川と、日本海(にほんかい)につながる川がはじまるところです。
塩尻市には、日本海につながる信濃川水系(しなのがわすいけい)の「奈良井川(ならいがわ)」、「田川(たがわ)」、太平洋につながる天竜川水系(てんりゅうがわすいけい)の「小野川(おのがわ)」がながれています。
塩尻市にある塩尻峠(しおじりとうげ)、うとう峠、鳥井峠(とりいとうげ)は、これらの川がはじまるところで、日本海と太平洋につづくだいじなばしょ。

洗馬小曽部(せばこそぶ)にある白滝(しらたき)の画像
洗馬小曽部(せばこそぶ)にある白滝(しらたき)

 

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川であそぼう

イワナ(岩魚)

【サケ目(もく)サケ科(か)】
川のじょうりゅうの水のきれいなところにいます。
おおきさは30~60センチメートルになります。肉食性(にくしょくせい)で、こんちゅうやこざかななどをたべます。
塩尻市では、奈良井川(ならいがわ)や田川(たがわ)にすんでいます。
川がはじまる源流(げんりゅう)には、からだのよこにだいだい色の斑点(はんてん)がある「ニッコウイワナ」がいます。

イワナ(岩魚)の画像

ヤマメ(山女魚)

【サケ目サケ科】
​川のじょうりゅうにいます。
おおきさは20~30センチメートルになります。
肉食性(にくしょくせい)で、こんちゅうやこざかななどをたべます。
ずっと川にすんでいるものと、海にいくものがいて、ずっと川にいるものがヤマメとよばれています。
塩尻市内では、奈良井川や田川のじょうりゅうにすんでいます。

カジカ(鰍)の画像

カジカ(鰍)

【カサゴ目カジカ科】
​川のじょうりゅう、ちゅうりゅうにいます。川をくだって海ですごすものもいます。
おおきさは10~15センチメートルになります。川のそこでくらし、こんちゅうや川のそこにいるいきものをたべます。
工事や水質汚染(すいしつおせん)のせいで、数がへっています。
塩尻市では、奈良井川、田川にすんでいます。

カサゴ目カジカ科の画像

アユ(鮎)

【キュウリウオ目(もく)アユ科(か)】
​川のちゅうりゅうにいます。
おおきさは20センチメートルくらいになります。川の石についている藻(も)をたべます。
春に川をさかのぼって、秋にかりゅうで産卵(さんらん)し、稚魚(ちぎょ)は海ですごします。
塩尻市の奈良井川(ならいがわ)では、いくつもダムがあり、さかのぼることができないため、まいとし、稚魚(ちぎょ)や成魚(せいぎょ)を放流(ほうりゅう)しています。つりびとにとてもにんきがあるさかなです。

アユ(鮎)の画像

ウグイ

【コイ目コイ科】
​川のちゅうりゅうにいます。
おおきさは20~30センチメートルになります。雑食性(ざっしょくせい)で、こんちゅう、こざかな、コケなどを食べます。
春になると、からだにあざやかな3本のあかいせんがでるので、「アカウオ」ともよばれています。
塩尻市では、おもに奈良井川(ならいがわ)や田川(たがわ)にすんでいます。

ウグイの画像

アブラハヤ(油鮠)

【コイ目コイ科】
​川のちゅうりゅうにいます。
おおきさは15センチメートルくらいになります。ウグイと同じ雑食性(ざっしょくせい)で、こんちゅう、こざかな、コケなどを食べます。
体のひょうめんは粘液(ねんえき)でおおわれ、さわるとぬるぬるしています。
塩尻市では、奈良井川や田川に、はばひろくすんでいます。

コイ(鯉)

​【コイ目(もく)コイ科(か)】
​みずうみやぬま、川のちゅうりゅう、かりゅうにいます。
おおきいものは1メートルくらいになります。雑食性(ざっしょくせい)で、みずくさ、かい、こんちゅう、甲殻類(こうかくるい)など、口にはいるものならなんでもたべます。寿命(じゅみょう)は20年くらいといわれています。なかには40年くらいいきるものもいます。
塩尻市では、みずうみやぬまのほか、川の堰堤(えんてい)など、水のながれがゆるいところにいます。

フナ(鮒)

【コイ目コイ科】
​みずうみやぬま、川のちゅうりゅう、かりゅうにいます。
おおきさは20~30センチメートルです。コイににていますが、ヒゲがなく、からだのたかさがあるのがとくちょうです。
塩尻市には、みずうみやぬまにおおくいますが、たまに奈良井川(ならいがわ)、田川(たがわ)の水のながれがゆるいところにいます。

ドジョウ

【コイ目ドジョウ科】
川のちゅうりゅう、かりゅうにいます。
おおきさは10~15センチメートルになります。雑食性(ざっしょくせい)で、ユスリカのようちゅうなどをたべます。ヒゲが10本あります。
えらでこきゅうするほか、ちょうでも空気をすいます。
塩尻市には、奈良井川、田川にはばひろくすんでいます。

 

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山であそぼう

塩尻市の山にいるいきものを紹介します

いきものがたくさんいるのはどんなところ?

いろんなしゅるいの木がはえているところを、「ぞうきばやし」といいます。ぞうきばやしには、いろんなしゅるいのいきものがすんでいます。
むかしは、おふろをわかすのにまきをもやしたり、たてものをたてるのに木をたくさんつかったり、人々のくらしと木や山はとてもみじかなものでした。でも、いまは、くらしがかわり、かんりされないまま、かれてしまうぞうきばやしがふえています。

ぞうきばやしのいきもの

カブトムシの画像
カブトムシ

ミヤマクワガタの画像
ミヤマクワガタ

ノコギリクワガタ(おおがた)の画像
ノコギリクワガタ(おおがた)

ノコギリクワガタ(こがた)の画像
ノコギリクワガタ(こがた)

 

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塩尻市のれきし

塩尻市のれきし

いまの塩尻市があるばしょに人がすみはじめたのは、いまから1万5千年いじょうまえといわれています。縄文時代(じょうもんじだい)、弥生時代(やよいじだい)には、いまの宗賀地区(そうがちく)にある「平出遺跡(ひらいでいせき)」に、おおきなむらがありました。
いまから1300年まえの奈良時代(ならじだい)、平安時代(へいあんじだい)には、「東山道(とうさんどう)」「吉蘇路(きそじ)」というおおきなみちがつくられ、塩尻市があったばしょにも、ぜんこくから、いろんなものがはこばれ、はってんしました。
江戸時代(えどじだい)には、江戸(いまの東京都)と京都(きょうと)をつなぐ中山道(なかせんどう)をはじめ、善光寺街道(ぜんこうじかいどう)や三州街道(さんしゅうかいどう)など、たくさんのおおきなみちが、塩尻市のばしょでまじわっていたため、いつも、ぜんこくの旅人(たびびと)でにぎわっていました。

「塩尻市」というなまえはいつから?

「塩尻市」というなまえになったのは、昭和34年です。
塩尻町(しおじりまち)、片丘村(かたおかむら)、広丘村(ひろおかむら)、宗賀村(そうがむら)、筑摩地村(ちくまちむら)がひとつになって、「塩尻市」ができました。
いちばんはじめの市長(しちょう)は、小松多喜雄(こまつたきお)さんでした。
平成17年には、木曽郡楢川村(きそぐんならかわむら)とひとつになり、いまの塩尻市になりました。

どうして「しおじり」っていうの?

塩尻市というなまえのゆらいは、いくつかかんがえがありますがゆうめいなものは、海から塩(しお)をはこんでいた「塩の道(しおのみち)」が、ちょうどしおじりのばしょでおわっていたことから、さいごといういみの「尻(しり)」をつかって、「塩」の「尻」、「塩尻」となづけられたといわれています。

 

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しおじりの偉人(いじん)たち

熊谷 岱蔵(くまがい たいぞう)

【明治(めいじ)13年~昭和(しょうわ)37年】
​医学博士(いがくはかせ)。いまの洗馬地区(せばちく)のしゅっしんです。
結核(けっかく)というおそろしいびょうきのけんきゅうをしていました。
結核は、明治時代や昭和時代のはじめに、おおぜいの人が亡くなる(なくなる)おそろしいびょうきでした。
熊谷さんのけんきゅうにより、結核で亡くなる人は、とてもすくなくなりました。
もうすこしで、ノーベル賞(しょう)を受賞(じゅしょう)できたといわれています。

古田 晁(ふるた あきら)

【明治(めいじ)39年~昭和(しょうわ)48年】
​いまの北小野地区(きたおのちく)のしゅっしん。
昭和15年に、筑摩書房(ちくましょぼう)という出版社(しゅっぱんしゃ)をつくり、ゆうめいな本をたくさんつくりました。
いまでは、ふるさとである北小野地区にある、古田晁記念館(ふるたあきらきねんかん)には、古田さんにかんするしりょうなどをみることができます。

林 五一(はやし ごいち)

【明治(めいじ)23年~平成(へいせい)3年】
​いまの岡谷市(おかやし)のしゅっしんで、明治44年にいまの宗賀地区(そうがちく)にひっこしてきました。
桔梗ヶ原(ききょうがはら)でブドウづくりをはじめ、大正(たいしょう)8年には、ワインづくりをはじめました。
ブドウを出荷(しゅっか)するための組合(くみあい)をつくるなどして、塩尻市のワインづくりのきそをきずきました。

田中 義麿(たなか よしまろ)

【明治(めいじ)17年~昭和(しょうわ)47年】
​農学博士(のうがくはかせ)・理学博士(りがくはかせ)。いまの片丘地区(かたおかちく)のしゅっしんです。
蚕(かいこ)の遺伝子(いでんし)をけんきゅうし、品種改良(ひんしゅかいりょう)など、世界ではじめてのとりくみをおこないました。
20年かけてかいた「遺伝学(いでんがく)」など、本をたくさんのこしました。

 

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タイムトラベル!むかしの塩尻市をみてみよう

たくさんの人がくらしていた平出遺跡(ひらいでいせき)

縄文時代(じょうもんじだい)の塩尻市は、「平出の泉(ひらいでのいずみ)」や「比叡の山(ひえのやま)」など、水や自然がゆたかでした。そのため、平出遺跡(ひらいでいせき)をはじめ、たくさんむらがありました。
昭和(しょうわ)25年から、この平出遺跡の発掘調査(はっくつちょうさ)がおこなわれ、250けんのたてもののあとや、土器(どき)、石器(せっき)などがみつかっています。
いまでは、縄文時代のたてものを復元(ふくげん)したたてものがたてられていて、おおむかしの塩尻市ようすをそうぞうすることができます。

縄文時代のむらの様子を再現した平出遺跡公園の画像
縄文時代のむらの様子を再現した平出遺跡公園

塩尻市には、たくさんの宿場町(しゅくばまち)がありました

江戸時代(えどじだい)には、塩尻市のあったばしょに、「中山道(なかせんどう)」というおおきなみちがとおっていました。
この中山道には、たくさんの旅人(たびびと)がいきかっていました。
塩尻市には旅人が泊まる(とまる)宿場(しゅくば)がたくさんあり、おおぜいの旅人でにぎわっていました。

塩尻宿(しおじりじゅく)

いまの「塩尻東地区(しおじりひがしちく)」にありました。たくさんの旅人(たびびと)がとまり、中山道(なかせんどう)のなかでもいちばん宿(やど)がおおい宿場(しゅくば)としてにぎわいました。
ほとんどの宿場は、明治時代(めいじじだい)に火事(かじ)でやけてしまいましたが、小野家(おのけ)は火事にならず、いまは、国の重要文化財(じゅうようぶんかざい)になっています。

江戸時代(えどじだい)の塩尻宿(しおじりじゅく)のようすの画像
江戸時代(えどじだい)の塩尻宿(しおじりじゅく)のようす

洗馬宿(せばじゅく)

いまの「洗馬地区(せばちく)」にありました。2つの街道(かいどう)がわかれるところにあったので、たくさんの旅人(たびびと)でにぎわっていました。「荷物貫目改所(にもつかんめあらためしょ)」という、旅人のにもつのおもさをはかるところがありました。昭和(しょうわ)7年に、おおきな火事(かじ)があり、たてものは、ほとんどやけてしまいました。

江戸時代(えどじだい)の洗馬宿(せばじゅく)のようすの画像
江戸時代(えどじだい)の洗馬宿(せばじゅく)のようす

本山宿(もとやまじゅく)

いまの「宗賀地区(そうがちく)」にありました。
木曽路(きそじ)のいりぐちにあったので、おおぜいの旅人(たびびと)でにぎわっていました。
いまでも、そのときのふんいきをのこすたてものがたくさんあります。
また、そばを、いまのように、ほそくきってたべる「そばきり」がはじまったのが、本山で、本山をおとずれた旅人が、全国にひろめたといわれています。

江戸時代(えどじだい)の本山宿(もとやまじゅく)のようすの画像
江戸時代(えどじだい)の本山宿(もとやまじゅく)のようす

贄川宿(にえかわじゅく)

いまの「楢川地区(ならかわちく)」にありました。
木曽路(きそじ)にはいって、いちばんさいしょにある宿場(しゅくば)です。
旅人(たびびと)や、にもつをけんさする「関所(せきしょ)」というところがありました。

江戸時代(えどじだい)の贄川宿(にえかわじゅく)のようすの画像
江戸時代(えどじだい)の贄川宿(にえかわじゅく)のようす

奈良井宿(ならいじゅく)

いまの「楢川地区(ならかわちく)」にありました。
「奈良井千軒(ならいせんけん)」とよばれ、たくさんの宿(やど)があり、おおぜいの旅人(たびびと)でにぎわいました。
また、奈良井宿のさきには、「鳥居峠(とりいとうげ)」という、とうげみちがあり、とうげをとおる人がひとやすみして、ちからをつけたいわれています。
いまでも、むかしのたてものがたくさんならび、江戸時代(えどじだい)のようなまちになっています。そのため、全国からおおぜいの観光客(かんこうきゃく)がきたり、テレビCMやドラマのぶたいとしてもちゅうもくされています。

江戸時代(えどじだい)の奈良井宿(ならいじゅく)のようすの画像
江戸時代(えどじだい)の奈良井宿(ならいじゅく)のようす

昭和時代(しょうわじだい)の塩尻市のまちなみ

広丘原新田(ひろおかはらしんでん)のようすの画像
広丘原新田(ひろおかはらしんでん)のようす

大門(だいもん)のようすの画像
大門(だいもん)のようす

宗賀洗馬(そうがせば)のようすの画像
宗賀洗馬(そうがせば)のようす

塩尻町(しおじりまち)のようすの画像
塩尻町(しおじりまち)のようす

広丘郷原(ひろおかごうばら)のようすの画像
広丘郷原(ひろおかごうばら)のようす

北小野大出(きたおのおおいで)のようすの画像
北小野大出(きたおのおおいで)のようす

昭和(しょうわ)30年代(1955年~1964年)のようす

昭和34年の市役所(しやくしょ)の画像
昭和34年の市役所(しやくしょ)

昭和34年のしょうてんがいのようすの画像
昭和34年のしょうてんがいのようす

ブドウを出荷(しゅっか)しているところ(昭和35年)の画像
ブドウを出荷(しゅっか)しているところ(昭和35年)

昭和38年のゆうせんでんわのようすの画像
昭和38年のゆうせんでんわのようす

 

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