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塩尻市木曾平沢重要伝統的建造物群保存地区

ページID:0003737 更新日:2021年9月17日更新 印刷ページ表示

塩尻市木曾平沢重要伝統的建造物群保存地区について記載しています。

伝統的建造物群保存地区での建築行為について

木曾平沢伝統的建造物群保存地区での建築行為を予定の方は、こちらもご確認ください。

伝統的建造物群保存地区制度(伝建制度)のしくみ

 伝統的建造物群は、文化財保護法により「周囲の環境と一体をなして歴史的風致を形成している伝統的な建造物群で価値の高いもの」とされる文化財です。
 市町村、市町村教育委員会は、伝統的建造物である建築物や工作物と共に、これと景観上密接な関係にある樹木、庭園、池、水路、石垣等を環境物件として特定します。また、これらを含む歴史的なまとまりをもつ地区を、伝統的建造物群保存地区(伝建地区)として決定し、保存を図ります。
 国は市町村の申出にもとづき、わが国にとって特に価値が高いと判断されるものを重要伝統的建造物群保存地区(重伝建地区)に選定し、市町村、市町村教育委員会の取り組みを支援します。

塩尻市木曾平沢重要伝統的建造物群保存地区の概要

保存地区データ
名称 塩尻市木曾平沢重要伝統的建造物群保存地区
種別 漆工町
所在地 長野県塩尻市大字木曽平沢 字東町、字東町裏、字西町、字西町裏、字太田、字川原、字上ノ山、字宮ノ原及び字宮下の各一部
面積 約12.5ヘクタール
条例制定日 昭和53年2月16日
地区決定日 平成17年12月1日
保存計画決定日 平成17年12月1日
選定日 平成18年7月5日
選定基準 (二)伝統的建造物群及び地割がよく旧態を保持しているもの

※重要伝統的建造物群保存地区選定基準
 伝統的建造物群保存地区を形成している区域のうち次の各号の一つに該当するもの
  (一)伝統的建造物群が全体として意匠的に優秀なもの
  (二)伝統的建造物群及び地割がよく旧態を保持しているもの
  (三)伝統的建造物群及びその周囲の環境が地域的特色を顕著に示しているもの

保存地区の範囲

木曾平沢伝建地区範囲
塩尻市木曾平沢重要伝統的建造物群保存地区範囲

歴史と沿革

 塩尻市は長野県の中央部に位置しており、市域は松本盆地の南端に広がる北部と木曾地方の北東端にあたる山岳地帯の南部とに大別されます。木曾平沢は、中山道や奈良井川が南北に縦断する市域南部の中央に位置し、谷あいを北流する奈良井川が大きく湾曲した河川敷に発達した集落です。
 木曾平沢は、慶長3年(1598年)に奈良井川の左岸にあった道が右岸に付け替えられたことを契機に、周辺の山林付近に生活していた人々がその道沿いに居住することで、集落が形成されていったと考えられています。この道は、古代・中世では吉蘇路や木曾路などといわれていましたが、徳川幕府により慶長7年に中山道の一部として整備されたものです。
 このようにして成立した平沢は、近世には奈良井宿の枝郷として位置付けられ、檜物細工や漆器などの生産で生計を立ててきました。当初は「木曾物」と総称されていた漆器も、近世後期になると「平沢塗物」の名で流通するようになりました。さらに、明治期以降も本堅地漆器の製造技術を導入するなどの技術革新によって成長し、現在でも日本有数の漆器生産地としての地位を維持し続けています。

保存地区及び町並みの特徴

 保存地区は、東西約200メートル、南北約850メートル、面積約12.5ヘクタールの範囲で、奈良井川右岸の河川敷に広がる集落と、その北の丘陵に鎮座する諏訪神社を含んだ地域です。地区のほぼ中央に、現在は本通りと通称される中山道が南北に縦断し、その西側に並行して金西町の街路が位置しています。それぞれの通りの両側に、近世後期に遡る奥行きの深い短冊状の敷地割が残されています。
 この本通りと金西町の街路に沿って形成された町並みは、それぞれに異なった景観を見せています。本通りは、道の両側で漆器の店舗を持つ主屋が多く見ることができます。これに対して、近代になって開削された金西町の街路は、店舗を持たない主屋が建ち並んでいます。つまり、店舗の建ち並ぶ本通りが漆器の町を印象づける景観であるのに対して、金西町では漆器職人の住まいが建ち並ぶいわば職人町といった景観を見せているといえます。
 このように木曾平沢は、店舗の本通りと職人町としての金西町の街路が一体となり、漆器生産から販売までを行なう漆工町と呼ぶにふさわしい町並み景観を呈しています。

木曾平沢本通りの町並みの画像
木曾平沢本通りの町並み

 金西町の町並みの画像
金西町の町並み

伝統的建造物の特徴

 木曾平沢地区の建造物は、漆工を行う町として多くの特徴を持っているといえます。
 敷地には、街路に面してアガモチと称する空地を取って主屋を建て、中庭を介して漆塗の作業場である塗蔵を配し、その奥に離れや物置などが続きます。これらの主屋や塗蔵は、各敷地においてほぼ同じ位置にあり連たんしています。さらに、主屋は敷地間口いっぱいに建てずに隣家との間に余地を取り、塗蔵への通路とする例が多く、隙間無く主屋が連続する町並みとは異なった様相を呈しています。
 主屋は、中二階建あるいは本二階建の切妻造平入でかつては板葺石置屋根でしたが、現在では亜鉛鉄板葺となっています。間口は三間が標準的規模で、平面は南側の通り土間に沿って表からミセ、オカッテ、ザシキが一列に並ぶ一列三室を基本としますが、敷地間口の広さによっては二列六室の平面にもなります。ただし、敷地奥への通路を有する場合には、通常土間を奥まで通さずに敷地奥への通路との間に戸口を設けます。中山道沿いの主屋では、近代以降、ミセの床を撤去し店舗とする例が多く見られますが、金西町では少数にとどまっています。
 塗蔵は、二階建、置屋根の土蔵造で、湿度と温度を保てるという漆塗の作業に適した建物といわれています。内部は、一、二階ともに板敷の一室空間としていますが、二階では一階から埃が進入することのないように、階段を間仕切るようにしています。一階で下地付けや研ぎの作業が、二階では埃を極端に嫌う中塗や上塗が行なわれます。このような塗蔵は、奈良井宿に数棟見られるだけでほかに例がなく、漆器生産で生計を立ててきた木曾平沢を特徴づける建物といえます。塗蔵のほかにも、この地域でホウゾウ蔵と称される一般的な物を収納するための土蔵もありますが、塗蔵が開口部を大きく取り引戸とする点のほかは、白漆喰塗の大壁造で共通しています。

代表的な町家一階平面図の画像
代表的な町家一階平面図

保存地区指定に至る経緯

 昭和53年に木曾平沢と隣接する奈良井が、近世の宿場町の景観を顕著に残しているとして、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。この選定を契機に、奈良井の住民による町並み保存運動は、文化財保護をそのひとつの核として新たな町づくりへと発展しました。
 いっぽう木曾平沢は、近代においても漆器産業の面で全国的にも認められる産地として発展してきました。昭和24年には、旧通商産業省より重要漆工集団地の指定を受けました。また、昭和49年に制定された「伝統的工芸品産業の振興に関する法律」により、翌年に同省より木曾漆器が伝統工芸品に指定されました。さらに、昭和45年に完成した木曾漆器館がはじめた、木曾漆器の製作用具や製品などの民俗文化財の収集事業によりまとめられた3729点の資料が、平成3年に国の重要有形民俗文化財に指定されました。
 これらの漆器の技術や歴史の検証が実を結ぶにつれ、住民は隣接する奈良井で行われている町並み保存運動に触発され、これらの文化を育んだ地域に目を向けはじめました。行政はそれらの動きと連携し、平成14年に町並み保存に特化したセクションを設置しました。翌年には、木曾平沢町並み保存推進委員会が組織され、伝統的建造物に関する学習会、先進地視察研修、町並み講演会などを実施するに至りました。
 このような、住民と行政の協働の成果として、文化庁の指導を受けながら平成15・16年の2ヵ年にわたり、独立行政法人文化財研究所奈良文化財研究所に依頼し、漆器の町木曾平沢を対象に伝統的建造物群保存対策調査が、町並み保存推進委員会の尽力の元に実施されました。この調査は、『木曾平沢-伝統的建造物群保存対策報告-』として平成17年3月に刊行されています。その中で、木曾平沢の漆工に立脚した文化財としての町並みの特性が明らかにされ、さらに今後の保存と利活用について提言がなされました。
 塩尻市では、平成17年度に住民合意が得られたことを受け、文化庁、長野県との協議、市議会、教育委員会及び伝統的建造物群保存地区保存審議会の審議を経て、教育委員会は平成17年12月1日に、保存地区とその地区の保存整備に関する基本方針となる保存計画を決定しました。この決定の報告を受けた文化庁は、国の文化審議会に選定を諮問し、文化審議会では平成18年4月21日に文部科学大臣に対して、国の重要伝統的建造物群保存地区として選定するよう答申し、平成18年7月5日に選定されました。

木曾平沢の屋並みの画像
木曾平沢の屋並み

塗蔵での作業風景の画像
塗蔵での作業風景