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本洗馬歴史の里資料館展示室

ページID:0003811 更新日:2021年6月28日更新 印刷ページ表示

展示室の案内について記載しています。

展示室の写真
展示室

塩尻の焼き物の写真
塩尻の焼き物

展示室

江戸時代、菅江真澄をはじめとした多くの文人墨客が本洗馬の地を訪れ、これらの人々の薫化を受けて独自の洗馬文化が華ひらきました。
資料館には菅江真澄や、医学者で当時蔓延していた結核の治療・予防に貢献した文化勲章受章者熊谷岱蔵博士、釜井庵・洗馬の歴史文化の資料、また「洗馬焼」をはじめとした塩尻の焼き物等を展示しています。
しばし往時を偲び、先人たちの心にふれてみませんか。
そのほか、陶芸教室などに使用する体験室、研究室があります。

菅江真澄(1754-1829)

江戸時代後期の旅行家、博物学者。今の愛知県東部にあたる三河国に生まれる。本名は白井秀雄。

旅の足跡

1783年(天明3年)、30歳で故郷を旅立ち、今の長野県塩尻市を中心に1年余りを過ごした後、新潟から東北、北海道を経て、48歳で再び秋田に入ります。その後、没するまでの28年間、真澄は秋田に腰を据え、1829年(文政12年)今の秋田県仙北市で亡くなりました。76歳でした。生来旅好きであった真澄は、生涯家庭を持つことはなく、また旅に出てから亡くなるまで故郷に帰ることはありませんでした。墓は秋田市寺内にあります。

信濃での交流

信濃で真澄が活動の拠点としたのは、本洗馬(今の塩尻市洗馬)でした。真澄は釜井庵という庵(いおり)に仮住まいして、村の青年たちに歌や古典を教え、風流人たちと歌詠みの会を催し、土地の人たちと交流を深めました。また付近の由緒ある神社やお寺を訪ね歩き、土地の習俗や四季の行事を日記や写生帳に記録しました。信濃での旅は、真澄が再びみちのくを目指して旅立つ1784年(天明4年)7月(旧暦)まで、約1年3カ月続きます。

熊谷岱蔵(1880-1962)

内科医学者。東北帝国大学医科大学(後の東北大学医学部)教授、総長。長野県東筑摩郡洗馬村(今の塩尻市洗馬)に生まれる。
一高、東京帝国大学卒業後、ドイツのベルリン大学・ブレスラウ大学に留学。インシュリンの研究や結核、特にBCG・化学療法の普及に貢献しました。ほかに人工気胸法の普及、すい臓内分泌に関する研究等があります。1952年文化勲章受賞。1956年には仙台市の名誉市民となりました。

塩尻の焼き物

信濃では、江戸時代後期から明治時代にかけて各地に窯が開かれ、塩尻でもこの時期に、洗馬上組・元町の和兵衛窯・上条窯・山崎窯・信斎窯等で焼かれた「洗馬焼」「信斎焼」が、また、片丘南熊井で焼かれた「入道焼」が知られています。これらの窯も明治時代末に鉄道が開通すると、次第に衰退し、大正初期にはいずれも廃業しています。しかし、このような焼き物の伝統は、現在も市内の陶芸家や多くの愛好者に脈々と受け継がれています。