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三州街道(伊那街道)
塩尻宿から小野宿へ
三嶽神社と姥ヶ池(地図<外部リンク>)
姥ヶ池
三嶽神社の大鳥居の西に接して溜池がある。そのわきに、小さな池があって、この池の主「神姥」が祭られている。春、そこに咲くヤエザクラの花を水面に写す眺めには風情がある。
【伝説】膳や椀を借りたいときこの池の主にお願いしておけば、明朝ちゃんと土手の上に取り揃えておいてくれた。ところがあるとき、ある人が借りたまま返さなかったので、それから後はいっさい貸してくれなくなったという貸膳椀伝説がある。
みどり湖(地図<外部リンク>)
みどり湖
塩尻峠の西の麓にあるみどり湖は、田川水系をせきとめて造った美林の中の静寂な人造湖である。西は開け、北アルプス連峰を一望にできる高台で、春の芽吹きは素晴らしく、秋の紅葉も見事である。水辺はよく管理され、ミズバショウが鑑賞できる。また、近くの水路では、ゲンジボタルが観察でき、4月から12月はヘラブナ釣りも楽しめる。
強清水
強清水
善知鳥峠から、昔の三州街道を上西条へ下った所に、強清水という有名な湧水がある。権現様が祀られているので、権現清水ともよばれ、今は、塩尻市上水道に取り入れられている。大木の根本からこんこんとわき出て権現川となり、上西条・中西条を流れて下西条で四沢川と合流して田川となる。
名前の出所についてはいろいろ伝えられているが、その一つに「親は死んでも子は清水」というのがあり、いかにももっともらしく聞こえるのがある。碁打ちが「親が死んだとさ」と言って碁を打っていたという話と同様に、親の死に目に会いに行くにもまず一杯という意味だろう。
昔雨乞いのとき、ここへ釣鐘を沈めて祈ったともいわれている。
善知鳥(うとう)峠・分水嶺(地図<外部リンク>)
水のわかれの碑
北小野と上西条の境にあって、天竜川水系と信濃川水系の分水嶺の峠(889メートル)である。この辺りは「水のわかれ」と呼ばれる湿地帯だったという。大正のころまでは、水量も豊富でイモリが棲みミツガシワが生えていて、湧き出た水は北と南に流れ出していた。
志げ沢清水
志げ沢清水
善知鳥峠は、古くから伊那谷と松本平とを結ぶ重要な道路で、中馬による物資の交流や善光寺参り等、大変にぎわった。そうした旅人にとって、峠の北の麓の「強清水」と南の麓の「志げ沢清水」は、とても貴重なのだった。善知鳥峠南麓の登り口にあるこの志げ沢清水には、「京へ戻ってからも忘れられず、わざわざ汲みに来ては終生愛用した」とか「ある老母が、今一度志げ沢清水が飲みたいと言うので、息子がわざわざ汲みにきて老母に飲ませたところ、どうやら場所をまちがえたらしい。もう一度汲んできた」と言ったという伝説がある。志げ沢清水には二流あって、奥しげ沢(上流)の方が大変好まれたようだ。
甘い水だよしげ沢清水
甘茶かんぞの味がする
常光寺のシャクナゲ(地図<外部リンク>)
常光寺
北熊井にある同じ寺号の寺院をすでに見たが、こちらは上西条地区にある真言宗の古刹である。応永年間(1394~1427)法印恵覚によって中興され、文明4年(1472)廃寺となった。寛文9年(1669)法印実清が高野山から当地に来山し法流を継ぎ、今日にいたる。寺院背後の飯綱山から東に延びる尾根には飯綱権現を祀る祠がある。
約2000本のシャクナゲや約300本のアジサイが咲き誇るころの風情は、また格別である。
小野神社・矢彦神社(地図<外部リンク>)
小野神社本殿
矢彦神社
小野神社は、建御名方命を祀る。矢彦神社(辰野町の飛び地)と併せて小野南北大明神と称せられたこともある。信濃国二ノ宮として崇敬を集めたが、創立年は不詳である。本殿は構造形式・文書から推して寛文12年(1672)の再建とされる。本殿の4棟は県宝指定。
豊臣秀吉の天下平定の頃、伊那・諏訪・筑摩三郡の接する小野の地が松本藩領とされたことに飯田藩は応ぜず、その帰属について秀吉に裁定を願い出た。その結果、すべて半分ということになり、社地もその通り分割された。両神社を覆う森林は「憑(たのめ)の森」と呼ばれる。この神域は大切にされてきたが、学術的にも貴重な植生地帯である。
小野神社に伝わる鐸鉾・梵鐘は市有形文化財。鐸鉾は一本の鉾に12個の鉄鐸を結び、多数の麻幣を施してる。梵鐘は、永禄7年(1564)武田勝頼が戦勝祈願に寄進したもの。龍頭に特徴があり、武田信玄の叔父天桂玄長の銘文がある。懸仏(銅造千手観音坐像御正体残闕、総高18.7センチ)は、梵鐘とともに神仏習合時代の名残りである。この御像は鏡板や脇手が欠けているが、鎌倉時代後期の製作と推定されており、県宝にも指定されている。
古田晁記念館(地図<外部リンク>)
吉田晁記念館の正門。左に見えるのが母屋(これも平成12年に寄贈された)
平成6年、筑摩書房の創立者古田晁(明治39~昭和48)の生家、土蔵と庭が塩尻市に寄贈された。そこが「古田晁記念館」として開設されたのは、平成8年のことである。古田晁は筑摩地村(現・北小野)生まれである。旧制松本中学時代は臼井吉見と同級で、二人の友情は旧制松本高校、東京帝国大学を通して生涯続く。東大を卒業すると、父の経営する会社を手伝うために渡米する。帰国後、臼井吉見、唐木順三と語らって筑摩書房を創立した(昭和15年)。思想文芸を中心とする出版社で、戦時中の統制や資材不足、空襲による事務所破壊という状況下にもかかわらず、良心的な出版物を出し、戦後も採算を度外視した良書の出版で注目された。筑摩書房といえば、今では押しも押されもしない一流出版社として聞こえているが、古田晁の人柄と発奮あってのことである。
出版人の記念館は、全国的にみても珍しい。入館料無料となっている。
記念館のうち展示室・渡廊下及び門が平成21年4月に国の登録有形文化財に登録された。
開館日
土曜・日曜・国民の祝日
(ただし12月29日~1月3日は休館)
開館時間
午前9時~午後4時30分
問い合わせ
市立図書館
電話:0263-53-3365