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塩尻市の名誉市民
市民または市にゆかりの深い方で、学術、文化、産業、経済、社会、その他各般にわたりその功績が極めて著しくであり、市民の尊敬の的として仰がれる方にその称号を贈り、栄誉を称えるものです。
大野田正雄(おおのだ まさお) 昭和58年6月 顕彰
明治25年宗賀平出で出生。旧制松本中学(現松本深志高校)を卒業後、明治大学予科に進学したが、父親の急逝により学業を中途で断念。
地元の小学校の教員をした後、八十二銀行の前身である六十三銀行に入行。八十二銀行になってから東京支店長をはじめ、常務取締役などを歴任し、昭和42年に退職されるまで、実業界の第一線で活躍。
塩尻市を愛する心が厚く、昭和49年には、優れた能力を持ちながら勉学の機会に恵まれない学生のために、「大野田育英基金」として1千万円を寄附し、さらに昭和58年に同基金に9千万円を寄附されました。
また、目や耳の不自由な方や言語障害を持つなど、社会的に弱い立場にある人のために、「大野田視聴覚及び言語障害者援護基金」として1千5百万円を寄附されるなど、市の教育と福祉の発展に貢献した。
(昭和59年2月逝去)
井上つる江(いのうえ つるえ) 平成5年5月 顕彰
明治40年塩尻町で出生。5歳で住み込み奉公に出るなど、幼少期から苦労を重ねた。14歳で塩尻を離れ、横浜のパン屋や都内の料理店で働いた後、昭和17年、銀座に小料理店「井上」を開業。日本を代表する政財界人との交流も深く、温厚で誠実な人柄は多くの人から慕われた。
平成2年に、奨学資金として1千万円を寄附され、平成5年には、市の福祉進展のために都内銀座に所有する土地及び家屋あわせて時価9億円相当の寄附をされるなど、市の教育と福祉の発展に貢献した。
(平成17年2月逝去)
出口クリスタ(でぐち くりすた) 令和6年9月 顕彰
平成7年広丘吉田で出生。3歳から長野誠心館道場で柔道を始める。小学校は塩尻市立広丘小学校、中学校は塩尻市立丘中学校に通い、高校は学校法人松商学園松商学園高等学校に進学すると、1年時から目覚ましい活躍を見せ、インターハイ初出場で初優勝を収めた。大学は山梨学院大学に進学し、大学3年時にはカナダ国籍を取得。
大学卒業後は日本生命保険相互会社に所属し、活躍の場を世界に移すと、出場した様々な国際大会で優勝するなど目覚ましい活躍を続け、2024パリオリンピックで初めて女子57kg級でオリンピック出場を果たし、見事念願の金メダルを獲得。
最後まであきらめずに対戦する姿勢は、多くの塩尻市民に「夢」と「感動」を与えるとともに、塩尻市の名を全世界に発信いただいたことは、本市の繁栄、進展に貢献し、その功績は極めて顕著である。そして何より、塩尻市で生まれ育ったことを誇りに思い、郷土を愛する心を常に持つ姿勢は、正に市民の尊敬の的である。