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「塩尻の古代」展示室

ページID:0003798 更新日:2021年6月28日更新 印刷ページ表示

「塩尻の古代」展示室について記載しています。

展示室案内

「塩尻の古代」展示室

 西暦4世紀から12世紀の900年間は、古墳・奈良・平安時代と呼ばれています。
 この時代の塩尻は、古墳に象徴される権力者支配から律令体制のもとで筑摩郡の中の良田・崇賀の両郷に組み込まれ、中央から直接支配されるようになります。
 ここには東山道、岐蘇路の官道が通過し、各地の文物が直接この地にもたらされました。当時の村は、塩尻市内の全域に分布していますが、とりわけ田川流域には大集落が多く、人々はこの村を中心として多彩な活動を行っていました。

展示室の写真
展示室

 仏教文化の浸透に伴って生み出された造形物の一つに瓦塔があります。瓦塔は陶製の五重塔で、奈良・平安時代に関東・東海・中部・北陸を中心に作られました。塩尻市内からは、菖蒲沢窯跡、大門、吉田川西の各遺跡から出土しています。仏の功徳にあずかろうとした人々の礼拝の対象として、村の一隅に安置されたのでしょう。
 昭和62年、片丘北熊井から発見された菖蒲沢窯は、全長6.4メートルの奈良時代の登り窯で、すぐ近くからは竪穴住居の工房も見つかりました。ここでは日用品の須恵器のほかに瓦塔や鳥形硯など特殊な製品も作られていました。
 瓦塔は、高さ232センチメートルという全国一の大きさで、細部意匠も精巧な優品です。この窯では、当地域でも相当な権力者の注文に応じて製品が焼かれていたものと考えられます。

菖蒲沢窯跡出土瓦塔 (県宝 奈良時代)
菖蒲沢窯跡出土瓦塔(県宝 奈良時代)

 律令制下の農民は戸籍に登録され、6歳以上になると税を負担させられました。税の取立てなど、法律により農民を支配するためには、文字による情報伝達が不可欠でした。そこで律令政府は文字の普及につとめました。硯や墨書土器の出土は、この地の村々にも読み書きのできる人がいたことを示しています。
 しかし平安時代後半、律令体制が崩れ、在地領主による支配となるにしたがい一般の農民は再び文字を必要としない生活となりました。

菖蒲沢窯跡出土鳥形硯 (奈良時代)
菖蒲沢窯跡出土鳥形硯(奈良時代)