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「塩尻の原始」展示室
塩尻の原始に関する展示室について記載しています。
展示室案内
「塩尻の原始」展示室
塩尻の地に先人たちが残した痕跡をたどると、一万数千年前の旧石器時代までさかのぼります。この時代の人々は、一箇所にとどまることもなく、ナイフ形石器や石槍などで狩りをしながら遊動生活をおくっていました。
縄文時代になると市内全域に多くの遺跡が残され、とりわけ中期には爼原遺跡のような環状を呈する大集落が数多く営まれます。ここからは原始美術の華ともいわれる豪華な文様で飾られた縄文土器が出土しています。
米づくりが始まった弥生時代には、田川を中心とした地域でムラが営まれ、銅鐸を用いた祭りも行われました。
塩尻の原始展示室では、これら旧石器時代から弥生時代までの出土品を、テーマごとに展示しています。
展示室
縄文から弥生に時代が移り変わるときに縄文土偶の系譜をひく土偶形容器がつくられます。
下境沢遺跡(片丘南内田)からは、その優品が出土しています。
下境沢遺跡出土 土偶形容器(弥生時代)
昭和35年、柴宮銅鐸の発見は驚きをもって報じられました。それまで長野県は銅鐸分布圏外と考えられていましたが、この発見によって少なくとも長野県の南半までは、銅鐸のまつりが行われていたことが明らかになったからです。
柴宮銅鐸は、東海地方に特有な三遠式で、時代は弥生時代後期。農耕祭祀にかかわるまつりに使われたといわれています。初めて聞く金属の音は「神の声」とも感じられたでしょう。
平成19年、北信の中野市柳沢遺跡から銅鐸・銅戈が多数出土しました。長野県の弥生時代の青銅器祭祀研究も新段階を迎えることになり、柴宮銅鐸の位置づけも再検討が迫られることになりました。
柴宮遺跡出土銅鐸(県宝 弥生時代)