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窪田 空穂

ページID:0003844 更新日:2021年6月28日更新 印刷ページ表示

塩尻市ゆかりの歌人を紹介します。

窪田 空穂
(くぼた うつぼ・Kubota Utsubo       明治10年~昭和42年)

窪田空穂の顔写真
窪田 空穂

歌人、国文学者。
明治10(1877)年6月、長野県東筑摩郡和田村(現松本市和田)に生まれる。本名は窪田 通治(くぼた つうじ)。長男は歌人の窪田 章一郎。

松本中学校から早稲田大学に進む。一時、自らの非才を嘆いて帰郷。4年間家居し、島崎藤村の新体詩に親しみ、短歌を志して作歌70年の人生を歩み始める。

一時、片丘村の村上家の養子となる。太田水穂(歌人。長野県塩尻市原新田出身)が和田小学校長に赴任したことから交友が始まり、和歌同好会「この花会」を結成。水穂との交流は晩年まで続く。新聞や雑誌の記者、女子美術学校の教員などを経て、大正15(1926)年に早稲田大学教授となる。歌誌「国民文学」(大正3年)、「槻の木」(大正15年)等を創刊して、後進を指導した。歌集に「まひる野」や「土を眺めて」などがある。昭和23(1948)年に70歳で早稲田大学を退職後、静かな文筆活動に明け暮れ、同年4月に90歳で亡くなる。

昭和18年に日本芸術院会員。古典の評釈は特に評価が高く、昭和33年に文化功労者。松本市和田に窪田空穂記念館がある。

 

若い頃に自然主義的世界に触れた空穂は、日常生活を題材に、人生の喜びや内面の苦しみを詠み続け、「境涯詠(きょうがいえい)」と呼ばれる独自の人生的歌風を樹立した。また、近代歌人としては珍しく、多くの長歌を作り、長歌を現代に再生させた。

  『あき空の日に照るみどりにほひ出て見まはす四方にあふれなむとす』(塩尻短歌館隣りの歌碑公園にある歌碑の刻字)