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潮 みどり
塩尻市ゆかりの歌人を紹介します。
潮 みどり
(うしお みどり・Ushio Midori 明治30年~昭和2年)
潮 みどり
歌人。
明治30(1987)年、長野県東筑摩郡広丘村吉田(現塩尻市)に生まれる。本名は太田きり。9歳年上の姉が歌人の若山喜志子。
大正4(1915)年、松本市立松本女子職業学校(現長野県松本美須々ケ丘高等学校)を卒業。同年、神奈川県三浦海岸に転地療養中の喜志子を見舞い、翌年まで滞在。雅号の「潮 みどり」は三浦海岸の海からとっている。姉喜志子の影響を受け、歌を詠むようになる。喜志子の夫である若山牧水に師事し、牧水が主宰する「創作」や太田水穂が創刊した歌誌「潮音(ちょうおん)」に投稿を重ねる。
大正7年、出産・子育て中の喜志子の手伝いのために上京した際、牧水門下で「創作」の有力メンバーである長谷川銀作と出会い、翌年結婚する。
昭和2(1927)年10月、結核のため30歳の若さでひっそりと花のような一生を終える。
みどりの詠は、銀作との平和な生活の中から奏でられており、結核療養中も暗く翳ることはなく、遺歌は涙ぐましいくらい、いじらしさを宿している。牧水は「故人は実にきれいな清い心の人であった。… 歌がまたそのとおりであった。いや歌には、人以上に清く美しいところがあった。」と追憶している。生来の多感さから柔軟で純粋な叙情歌を多く残したほか、画才にも恵まれていた。