ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
現在地 トップページ > 組織でさがす > 交流文化部 > 塩尻短歌館 > 吉江 孤雁

本文

吉江 孤雁

ページID:0003839 更新日:2021年6月28日更新 印刷ページ表示

塩尻市ゆかりの歌人を紹介します。

吉江 孤雁
(よしえ こがん・Yoshie Kogan        明治13年~昭和15年)

吉江孤雁の顔写真
吉江 孤雁

仏文学者、詩人、作家、評論家。
長野県東筑摩郡長畝村(ひがしちくまぐん ながうねむら。現塩尻市長畝)に生まれる。本名は吉江 喬松(よしえ たかまつ)。

松本中学校(現松本深志高等学校)の在学中からより孤雁(こがん)の号を用い始める。卒業後、早稲田大学に入学し、窪田空穂(歌人)や水野葉舟(詩人、歌人、小説家)と交わる。卒業後も大学に残り、島村抱月(評論家、新劇指導者)の指導を受ける。大正4(1915)年に早稲田大学の教授となる。翌年、フランスのソルボンヌ大学に留学し、文学を学ぶ。帰国後、早稲田大学に仏文科を創設し、主任教授となる。フランス文学やフランス文化の日本への紹介が認められ、大正11年にフランス政府よりレジオン・ドヌール勲章を授与される。

門下には、西条 八十(さいじょう やそ)、井伏 鱒二(いぶせ ますじ)、日夏 耿之介(ひなつ こうのすけ)など、多数の学者、詩人、作家がいる。昭和15(1940)年3月、60歳で永眠。塩尻市長畝にある墓所には、「赤松の山ふもとにわが恩師はねむりたまへり、涙もていだかまほしや、君生める黒きこの土」という西条 八十の追悼碑が建てられている。

 

  『名をとへど知る人もなく秋空に燦爛(さんらん)として輝きし峯』(塩尻中学校に建つ歌碑)