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洗馬地区の概観

ページID:0003918 更新日:2021年6月28日更新 印刷ページ表示

洗馬地区の概観について記載しています。

立地

洗馬地区は塩尻市の西側に位置し、奈良井側の段丘上に形成された本洗馬(上組、元町、芦ノ田、太田)、小曽部川が奈良井に合流するあたりの氾濫原とその西の河岸段丘上の台地からなる岩垂と、東西を山並みに挟まれ小曽部川に沿って南北にいくつもの集落で形成された小曽部(上小曽部、下小曽部)からなる。

洗馬と木曾義仲伝説(地名の由来)

平安時代中期の藤原実資(さねすけ)の日記「小右記」の長和3(1014)年の記事に、洗馬の牧の牧司忠明朝臣が駒、牛などを貢物として納めたことが出てくる。この洗馬の牧は朝日村と芦ノ田、小曽部等にあった牧場と言われている。木曾義仲が出てくるのは、治承4(1180)年なので、義仲より200年近く前に洗馬の名は出ている。谷の入り口などで奥にかけて狭まっていく地形(狭間、狭場)に由来するのではという考えもある。

太田の清水

太田には、木曾義仲が馬を洗ったという太田の清水がある。

義仲の馬の足跡

上小曽部罠沢口の小曽部川に突き出た大きな岩に、義仲の馬の足跡といわれる穴があり、たまっている水は、眼病に効くと信仰されている。

芦ノ田の鏡岩

鏡岩という大岩は、昔は遠くからも輝いて見え、義仲の馬がこの輝きに驚き、剛勇の義仲が落馬したという。
(「塩尻市誌」第2巻277ページ以下等から抜粋)