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木曽漆器の歴史

ページID:0004199 更新日:2021年6月28日更新 印刷ページ表示

木曽漆器のはじまり

史料から慶長12年(1607年)以前より奈良井では曲物が生産されていたことが確認できているが、塗物生産については寛文5年(1665年)が初見となる。約350年前のことだが、それ以前の伝承には天正10年(1582年)に木曾義昌との戦いに敗れた武田勝頼が、敗走するさいに本陣としていた平沢の諏訪神社の朱塗りの社殿に火を放ったというものがある。このことから当時奈良井や平沢には350年より前に既に朱塗りの技術があったとも言われているが、残念ながらそれを実証する史料は見つかっていない。

木曽漆器の発展

木曽漆器は、木曽五木(ヒノキ・サワラ・アスナロ・コウヤマキ・ネズコ)に代表する木曽の山々の良質な材を用いて作っていた木製品を丈夫にするために漆を塗ったことから始まったと言われている。江戸時代の初めには、ヒノキやサワラなどの薄板を曲げて山桜の皮で縫い止めて作る奈良井の曲げ物が、全国屈指の木製品として知られていた。そうした曲げ物や他の木製品に直接漆を塗り重ねた製品(代表的なものが木曽春慶塗)を多く製造していたが、明治に奈良井で錆土という良質な下地素材が発見されたことによって堅牢な平滑面を作れるようになり、庶民の生活用具としての漆器だけではなく、高級調度品など様々な製品へ展開していき、産地としても飛躍的な発展を遂げた。

木曽漆器の今

高度成長期には日本中に作られたホテルや旅館、また生活が豊かになった一般家庭向けに、座卓やコタツ板などの大物製品が主流となった。現在では、大物が得意な産地の特性を活かした社寺建造物や神輿・屋台などの文化財修復も行われており、各工房では生活様式の変化や多様化により需要が減った大物だけではなく、小物を作る工房が増えている。

参考文献:楢川村誌3巻近世 「檜物と宿でくらす人々」ページトップへ