チャレンジ子どもミュージアム2020・子どもネットミュージアム
「チャレンジ子どもミュージアム2020・子どもネットミュージアム」は、
子どもたちみんなと、むかしむかしを旅する冒険です。
思いもしない、たくさんの不思議とであいます。
わたしたちの、むかしをしることは、未来をみつめることです。
★★★さまざまな歴史や自然のおはなしです。★★★
平出博物館は、新型コロナウイルス感染症拡大防止のため休館しています。
問い合わせ先 平出博物館 電話: 0263(52)1022
5000年前・縄文時代(じょうもんじだい)へ行こう・・・!

やってきたのは縄文の村です(平出遺跡公園)
知りたいことは何かな?
縄文人って・・・?
縄文時代は、今から約15,000年~2,500年ほど前の時代です。縄文時代は12,000年間以上も続きました。(長い江戸時代だって300年ほど。)この時代にすんでいた人々を「縄文人」とよびます。今の人たちよりも、身長はやや低く、目や鼻がはっきりとした、がっちり型だったようです。
北村遺跡(安曇野市)から、縄文時代中ごろ(4,000年ほど前)の子どもの人骨がみつかりました。身長103cmほどで、12歳くらいといわれています。イノシシの歯でつくられたアクセサリーが一緒にみつかりました。(この遺跡では、たくさんの人骨がみつかっています。平均寿命は34歳ほどだといわれています。)
縄文人って、どんなすがた、顔をしていたのでしょうか・・・?
縄文遺跡(縄文人がくらした跡)からは土偶(土でつられたヒトガタ)がたくさんみつかることがあります。この土偶のすがたから思いうかべてみるとおもしろいかな!
下の写真は縄文遺跡でみつかった土偶です。ずっとむかしにつくられた土偶なのに、みらい工場でつくられた子守用ネコ型ロボットにそっくりなものもあります。
わたしたちにつながる縄文人!どんなくらしをしていたのでしょうか・・・?

土偶(どぐう)(平出遺跡)

土偶(俎原(まないたばら)遺跡)

土偶(俎原遺跡)

土偶(平出遺跡)
縄文人のイエ・・・?
縄文時代の早いころから縄文人はイエ(「竪穴住居」とよびます。)をつくりました。地面を掘って平らにし、床にしました。そこに深い穴を掘り、柱をたてました(強くて硬いクリの木がつかわれました。)。屋根は、茅のような植物がつかわれました(土をのせた竪穴住居もあります。)。
形は、丸かったり四角だったり。でも、どのイエも大きさはそれほどちがいません。なぜかな・・・?
強い日差しの夏、雪のしみる冬、長い雨の日、月のない暗闇の夜・・・・・
どんなすみごこちだったのでしょうか?
平出遺跡公園の「縄文の村」には、7つの復元住居がたてられています。その中には、煮炊き、暖房、明かりのために火を燃やす炉や、火の粉が飛ばないよう火棚がつくってあります。祈りの場所があったことも考えられています。
7つの復元住居につくられた炉は、それぞれのかたちやようすがちがいます。
どんなつくりになっているかしらべてみましょう。

縄文人のイエ(イメージ)

みんなでつくりました。茅葺小屋チャレンジ
縄文人のムラ・・・?
縄文時代の早いころから縄文人は、なかまで集い、みんなで力をあわせてくらしていました。
平出遺跡の「縄文の村」をたずねてみましょう。縄文時代の中ごろ、今から5,000年ほど前のムラのようすです。
平出の泉から流れる小川にむかい、ゆるやかな坂が広がります。ひらたい所には、いくつかの竪穴住居が、広場をかこむようにたてられ、出入口は南をむいています。広場の真ん中には小さな塔のような石がおかれています(「立石」とよばれています。)。
広場では、あつめたドングリをかわかしたり、クリの木で柱をつくったり、ときには、まつりの準備をしたのかもしれません。
ムラのまわりには、コナラ、クリ、オニグルミ、ヤマブドウ、サルナシなど実のなる木々の森が広がっています。
縄文中期と呼ばれる約1,000年間、「縄文の村」の跡(遺跡)が、中部高地(西関東から山梨、長野の八ケ岳西南山麓周辺)にかけてとても多くみつかっています。大きなムラあれば小さなムラもありました。ムラとムラとの交流があったこともわかっています。
縄文人は、どんな場所にムラをつくったのでしょうか・・・?

森にかこまれた縄文の村(イメージ)

どんぐりの林(平出遺跡公園)
遺跡ってどこにでもあるの・・・?
縄文人がすんだ跡(遺跡)は、日本のどこからもみつかっています。
では、どんな場所をさがしても、土器(土でつくられた道具)がザクザク出てくるような遺跡がみつかるのでしょうか・・・?
平出博物館に塩尻市内の遺跡のあるところをしめしたジオラマ(山や川の模型)があります。みていると特徴があることがわかります。
塩尻市の東側、高ボッチ山麓の東山山麓線とよばれる道(標高約800m)のあたりには、多くの縄文遺跡があります。
山裾の台地の縁のようなところや山から流れる川の近くなどの場所に多いのです。
飲み水があり、洪水などの災害がすくないところがよかったのかもしれません。
また、食料となる木の実などが豊富で、水場にあつまる動物を狩るための便利な場所がえらばれたのかな・・・?
市内には、200ケ所をこえる縄文遺跡があります。
みなさんのすんでいる近くの縄文遺跡をさがしてみましょう。

縄文遺跡のあるところ

俎原(まないたばら)遺跡 図の30
縄文人は、なにを食べた・・・?
多くの縄文人がすむムラでは、たくさんの食べ物がなくては、くらしをつづけ、子どもを育てることができません。
縄文人は、狩猟採集(動物や木の実など自然のものをとること)のくらしといわれるけれど・・・?
縄文時代の土器(土でつくられた道具)に鉢(器)などがあります。この中に、おこげのようなものがついていたことがあり、煮炊きにつかったものと考えられます。
山ノ神遺跡の住居跡からは、縄文人が集め、たくわえたと思われる炭化(炭のようになった))したドングリがたくさん見つかりました。
縄文人は、これらの木の実(「堅果類」と呼びます。)をたくさん食べていたのです。堅果類は、土器などに入れて、長い間、保存することもできます。
コナラやトチの実をかじったことがありますか・・・?
渋~い木の実です。これは、タンニンとよばれる渋みがふくまれているからです。きっと、縄文人は「灰汁抜き」の方法をしっていたのです。(おばおちゃんに灰汁抜きの方法を聞いてみてください。)。
遺跡からは、石皿、磨石、たたき石などの道具がみつかります。木の実をすりつぶし粉にしたことが考えられています。
ムラの近くの小川で、土器を使い、水にさらし、灰汁抜きをしていたのかもしれません。
(クッキーもつくってていたところがあるみたいです。)

もりもり食べた堅果類

粉にする石皿と磨石

炭化したドングリの実(山ノ神遺跡)
縄文人は、どんな道具をつかった・・・?
縄文遺跡をしらべると、縄文人は、土でつくった土器、石でつくった石器などさまざまな道具をつかったことがわかります。
縄文時代につかわれた素焼き(粘土で形をつくり、乾かし、そのまま焼いたもの)の器を「縄文土器」とよんでいます。はじめのころ、縄目の文様(デザイン)が多かったことから「縄文」の名前がつけられました。縄文土器は、つくられた年代や地域によってさまざまな形があり特徴があります。(土器の研究者が夢中になるところだね。)
縄文土器は、深鉢、浅鉢などの形があります。食べ物を煮たり、水や食料を貯えたり、もりつけなどに利用され、
祈りの道具としてもつかわれたのです。
土器づくりは女性の仕事だったという研究者もいます。
下の写真は、「埋甕」とよばれる、からくさ模様に特徴のある大きな土器(高さ68cm)です。平出遺跡の住居跡の出入口あたりの土の中に、逆さに埋められていました。
埋甕は、縄文人の風習の一つと考えられ、げんきな子どもの成長をねがう心の表れだったのかもしれません。

道具を使う縄文人(イメージ)

磨石類(いろいろに使いました。)

埋甕(平出遺跡)

さまざまな縄文土器
いろいろな土器のすがた・・・?
土器展示室に入るとびっくりすることがあります。たくさんならんだ土器は、それぞれ形や文様がことなります。
縄文人がなぜこの器に、この絵や飾りをつけたのか・・・?思いが巡ります。
飾りはみる人の心で、女神の姿のようであり、襲いかかるヘビ、キバをむくイノシシ、
また、宇宙人のようでもあります。なぜ、ヘビやイノシシなのでしょうか・・・?
土器の飾りや文様をじっくりみてみましょう。
土器の形や文様は、どこでつくられたものなのかを探る手がかりになります。また、土器をつくる粘土をよくしらべてみると、細かな石粒がふくまれていることがあります。これも、つくられた場所をしらべるヒントになります。
一つの遺跡から、遠くはなれた地域の特徴をもつ土器がみつかることがあります。
縄文人は、土器を背負い、いくつもの山をこえ、よその地域の人々と交流したのです。

顔のある土器(俎原遺跡)

顔のある土器(平出遺跡)

顔のある土器(小段遺跡)

深鉢土器(剣ノ宮遺跡)

深鉢形(ふかばち)形土器(剣ノ宮遺跡)

有孔鍔付(ゆうこうつばつき)土器(平出遺跡)
この土器、なにに使ったの・・・?
さまざまな形や文様の土器がある中で、とても不思議な土器がみつかっています。
「釣手土器」とよばれる土器です。
器の中の底に、お皿のようなところがあります。そこにかぶさるように飾りがつけられ、窓が開けられています。全体は、なにかのすがたのようであり、顔のついたものもみつかっています。
さて、これはなににつかわれたのでしょうか・・・?
釣手土器の内側にススがついているものがありました。きっと、お皿のところで、動物や植物の油を灯したもので、縄文時代のランプではないかと考えられました。
釣手土器(レプリカ)に油をそそぎ、灯してみました。部屋を暗くすると、炎の光があふれだし、釣り手飾りの影が広がり、神秘的な空間がうまれました。
縄文人は、自然界の偉大な神への祈りの道具としてつかったのかもしれません。

釣手土器(俎原遺跡)

さまざまな釣手土器
縄文人の狩りのアイテム・・・黒曜石
縄文人の大切な道具のひとつに石器があります。
木や食べ物を切るとき、穴を掘るとき、そして、動物を狩るときの道具です。木をけずって、新しい道具をつくることもできます。
狩りにつかう石の道具は、「石ぞく」「石斧」などとよばれ、矢尻、おの、ナイフなどとしてつかわれました。
この材料となる石に「黒曜石」があります。黒曜石は、天然のガラスで、割れた面が鋭く、加工しやすい特徴があります。
しかし、黒曜石はどこでも取れるわけではありません。火山のマグマが急に冷やされたことによりできるもので、その場所はかぎられています。
縄文人が黒曜石を取った信州の産地は、八ヶ岳西山麓から霧ヶ峰までの地域です。「星くそ峠」「星が塔」などの名前がつけられ、山道がキラキラとかがやき、掘られた跡がのこっています。
黒曜石は、とても優れた材料であり貴重なものでした。自分のところでは手にはいらない縄文人は、産地から取りよせたようです。信州産黒曜石が、遠いところでは北海道でみつかっているのです。
ヒスイ(糸魚川市姫川)と同じように、日本列島のいろいろなところにはこばれていったのです。

黒曜石のふるさと 星くそ峠

黒曜石
「森の文化」がうまれた縄文時代・・・?
中部高地とよばれる八ヶ岳西南麓からはたくさんのは縄文遺跡がみつかっています。
今から13,000年前、氷河期がおわり、縄文時代中ごろになると、気候はだいぶあたたかくなり、海は、陸地の奥まで入りこむようになりました(東京の一部も海でした。)。これを「縄文海進」とよんでいます。
気候が大きくかわると、海から遠い中部高地にも大きな変化がありました。野山は、ドングリ、クルミ、クリなどの落葉広葉樹の森となり、そこにはたくさんの自然の恵みがもたらされたのです。
イノシシやシカなどの動物や木の実など山の幸を食料としていた縄文時代は、気候の移り変わりが、直接、縄文人のくらしに大きな影響をあたえました。
縄文人は、食料のえやすい場所に続けてすむようになり、まわりに、クルミやクリなどの木をうえ、実がなると土器に入れ、掘立柱建物のようなところにたくわえるようになりました。ヤマイモやエゴマなどを育てたことがわかる遺跡もみつかっています。
いつでもたくさんの食料がえられることで、多くの縄文人がくらせるようになりました。
自然への祈りや恵みに感謝し、みんながおだやかにくらせるようねがう、まつりがうまれたのかもしれません。
縄文遺跡でみつかる土器や石器は、そんなことを語りかけてくれます。

もっと 縄文 !
チャレンジ!まが玉づくり
縄文時代のアイテムといえば「まが玉」です。
縄文時代のおわりのころから、弥生時代、古墳時代とつくられました。
まが玉は、とても不思議なカタチをしています。動物のキバのようであり、夜空の三日月のようでもあります。
まが玉は、とてもかたいヒスイでつくられたものがみつかっています。
ノコギリやヤスリのない時代にどのようにけづり、あなをあけたのでしょうか・・・?
このなぞにチャレンジするのが「まが玉づくり」です。
「勾玉づくりセット」を利用し、まが玉づくりにチャレンジしましょう。
ざいりょう
(やわらかい石です。みがくとつるつるし、少しすきとおるようです。)
どうぐ
- ノコギリ(糸ノコ)
- 紙やすり
- ほそひも
- えんぴつ
- 水(器に入れて)
- 軍手
※滑石(あなのあいたもの)・紙やすり・ひもは「勾玉づくりセット」として、平出遺跡公園ガイダンス棟で売っています。
【勾玉づくりセット:1個100円】(おうちの人と相談してお出かけください。)
※ガイダンス棟はお休みの日があります。電話(52-3301)で確かめてからお出かけください。
ようい
- しっかりした机の上で、まが玉づくりをします。
- 石を切るときは、軍手をはめます。(手を切らないように!)
- 石を削った粉入れ袋、粉をふくぬれタオル、水の入ったボールなど
- 石を削った粉を吸い込まないよう注意!(マスクをつけてもよい。)
つくり方
つぎのファイル「勾玉づくりセットを使ったつくり方(PDF:216KB)」を見てください。
(わからないときは、平出遺跡公園ガイダンス棟へ電話をしてみてね)

身につけた飾りもの

まが玉セット
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