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塩尻市

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チャレンジ子どもミュージアム2020・子どもネットミュージアム

最終更新日:2020年4月24日

「チャレンジ子どもミュージアム2020・子どもネットミュージアム」は、
子どもたちみんなと、むかしむかしをたびする冒険ぼうけんです。
思いもしない、たくさんの不思議ふしぎとであいます。
わたしたちの、むかしをしることは、未来みらいをみつめることです。
★★★さまざまな歴史れきし自然しぜんのおはなしです。★★★
平出博物館は、新型コロナウイルス感染症拡大防止のため休館しています。
問い合わせ先 平出博物館  電話: 0263(52)1022

5000年前・縄文時代(じょうもんじだい)へ行こう・・・!


やってきたのは縄文の村です(平出遺跡公園)

知りたいことは何かな?

縄文人じょうもんじんって・・・?

縄文時代じょうもんじだいは、今から約15,000年~2,500年ほど前の時代です。縄文時代は12,000年間以上も続きました。(長い江戸時代だって300年ほど。)この時代にすんでいた人々を「縄文人」とよびます。今の人たちよりも、身長はやや低く、目や鼻がはっきりとした、がっちり型だったようです。
北村遺跡きたむらいせき(安曇野市)から、縄文時代中ごろ(4,000年ほど前)の子どもの人骨じんこつがみつかりました。身長103cmほどで、12歳くらいといわれています。イノシシのでつくられたアクセサリーが一緒いっしょにみつかりました。(この遺跡では、たくさんの人骨がみつかっています。平均寿命へいきんじゅみょうは34歳ほどだといわれています。)
縄文人って、どんなすがた、顔をしていたのでしょうか・・・?
縄文遺跡(縄文人がくらしたあと)からは土偶どぐう(土でつられたヒトガタ)がたくさんみつかることがあります。この土偶のすがたから思いうかべてみるとおもしろいかな!
下の写真は縄文遺跡でみつかった土偶です。ずっとむかしにつくられた土偶なのに、みらい工場でつくられた子守用ネコ型ロボットにそっくりなものもあります。
わたしたちにつながる縄文人!どんなくらしをしていたのでしょうか・・・?


土偶(どぐう)(平出遺跡)


土偶(俎原(まないたばら)遺跡)


土偶(俎原遺跡)


土偶(平出遺跡)

縄文人のイエ・・・?

縄文時代の早いころから縄文人じょうもんじんはイエ(「竪穴住居たてあなじゅうきょ」とよびます。)をつくりました。地面じめんって平らにし、とこにしました。そこに深い穴を掘り、はしらをたてました(強くてかたいクリの木がつかわれました。)。屋根やねは、かやのような植物しょくぶつがつかわれました(土をのせた竪穴住居もあります。)。
形は、丸かったり四角だったり。でも、どのイエも大きさはそれほどちがいません。なぜかな・・・?
強い日差ひざしの夏、雪のしみる冬、長い雨の日、月のない暗闇くらやみの夜・・・・・
どんなすみごこちだったのでしょうか?
平出遺跡公園ひらいでいせきこうえんの「縄文の村」には、7つの復元住居ふくげんじゅうきょがたてられています。その中には、煮炊にたき、暖房だんぼうかりのために火をやすや、火のばないよう火棚ひだながつくってあります。いのりの場所があったことも考えられています。
7つの復元住居につくられた炉は、それぞれのかたちやようすがちがいます。
どんなつくりになっているかしらべてみましょう。


縄文人のイエ(イメージ)


みんなでつくりました。茅葺小屋チャレンジ

縄文人のムラ・・・?

縄文時代じょうもんじだいの早いころから縄文人じょうもんじんは、なかまでつどい、みんなで力をあわせてくらしていました。
平出遺跡ひらいでいせきの「縄文の村」をたずねてみましょう。縄文時代の中ごろ、今から5,000年ほど前のムラのようすです。
平出のいずみから流れる小川にむかい、ゆるやかな坂が広がります。ひらたい所には、いくつかの竪穴住居たてあなじゅうきょが、広場をかこむようにたてられ、出入口は南をむいています。広場の真ん中には小さなとうのような石がおかれています(「立石りっせき」とよばれています。)。
広場では、あつめたドングリをかわかしたり、クリの木で柱をつくったり、ときには、まつりの準備じゅんびをしたのかもしれません。
ムラのまわりには、コナラ、クリ、オニグルミ、ヤマブドウ、サルナシなど実のなる木々の森が広がっています。
縄文中期と呼ばれる約1,000年間、「縄文の村」のあと遺跡いせき)が、中部高地ちゅうぶこうち(西関東から山梨、長野の八ケ岳西南山麓さんろく周辺)にかけてとても多くみつかっています。大きなムラあれば小さなムラもありました。ムラとムラとの交流こうりゅうがあったこともわかっています。
縄文人は、どんな場所にムラをつくったのでしょうか・・・?


森にかこまれた縄文の村(イメージ)


どんぐりの林(平出遺跡公園)

遺跡ってどこにでもあるの・・・?

縄文人じょうもんじんがすんだあと遺跡いせき)は、日本のどこからもみつかっています。
では、どんな場所をさがしても、土器どき(土でつくられた道具どうぐ)がザクザク出てくるような遺跡がみつかるのでしょうか・・・?
平出博物館ひらいではくぶつかんに塩尻市内の遺跡のあるところをしめしたジオラマ(山や川の模型もけい)があります。みていると特徴とくちょうがあることがわかります。
塩尻市の東側、高ボッチ山麓さんろく東山山麓線ひがしやまさんろくせんとよばれる道(標高ひょうこう約800m)のあたりには、多くの縄文遺跡じょうもんいせきがあります。
山裾やますそ台地だいちふちのようなところや山から流れる川の近くなどの場所に多いのです。
飲み水があり、洪水こうずいなどの災害さいがいがすくないところがよかったのかもしれません。
また、食料しょくりょうとなる木の実などが豊富ほうふで、水場みずばにあつまる動物をるための便利べんりな場所がえらばれたのかな・・・?
市内には、200ケ所をこえる縄文遺跡があります。
みなさんのすんでいる近くの縄文遺跡をさがしてみましょう。


縄文遺跡のあるところ


俎原(まないたばら)遺跡 図の30

縄文人は、なにを食べた・・・?

多くの縄文人がすむムラでは、たくさんの食べ物がなくては、くらしをつづけ、子どもを育てることができません。
縄文人は、狩猟採集しゅりょうさいしゅう(動物や木の実など自然のものをとること)のくらしといわれるけれど・・・?
縄文時代の土器どき(土でつくられた道具)にはちうつわ)などがあります。この中に、おこげのようなものがついていたことがあり、煮炊にたきにつかったものと考えられます。
山ノ神遺跡やまのかみいせき住居跡じゅうきょあとからは、縄文人が集め、たくわえたと思われる炭化たんか(炭のようになった))したドングリがたくさん見つかりました。
縄文人は、これらの木の実(「堅果類けんかるい」と呼びます。)をたくさん食べていたのです。堅果類は、土器などに入れて、長い間、保存ほぞんすることもできます。
コナラやトチの実をかじったことがありますか・・・?
しぶ~い木の実です。これは、タンニンとよばれる渋みがふくまれているからです。きっと、縄文人は「灰汁抜あくぬき」の方法をしっていたのです。(おばおちゃんに灰汁抜きの方法を聞いてみてください。)。
遺跡からは、石皿いしざら磨石すりいし、たたき石などの道具がみつかります。木の実をすりつぶしこなにしたことが考えられています。
ムラの近くの小川で、土器を使い、水にさらし、灰汁抜きをしていたのかもしれません。
(クッキーもつくってていたところがあるみたいです。)


もりもり食べた堅果類


粉にする石皿と磨石


炭化したドングリの実(山ノ神遺跡)

縄文人は、どんな道具をつかった・・・?

縄文遺跡じょうもんいせきをしらべると、縄文人は、土でつくった土器どき、石でつくった石器せっきなどさまざまな道具をつかったことがわかります。
縄文時代につかわれた素焼すやき(粘土ねんどで形をつくり、かわかし、そのままいたもの)のうつわを「縄文土器じょうもんどき」とよんでいます。はじめのころ、縄目なわめ文様もんよう(デザイン)が多かったことから「縄文じょうもん」の名前がつけられました。縄文土器は、つくられた年代や地域によってさまざまな形があり特徴とくちょうがあります。(土器の研究者が夢中になるところだね。)
縄文土器は、深鉢ふかばち浅鉢あさばちなどの形があります。食べ物をたり、水や食料をたくわえたり、もりつけなどに利用され、
いのりの道具としてもつかわれたのです。
土器づくりは女性の仕事だったという研究者けんきゅうしゃもいます。
下の写真は、「埋甕うめがめ」とよばれる、からくさ模様もように特徴のある大きな土器(高さ68cm)です。平出遺跡の住居跡の出入口あたりの土の中に、さかさにめられていました。
埋甕は、縄文人の風習ふうしゅうの一つと考えられ、げんきな子どもの成長せいちょうをねがう心の表れだったのかもしれません。


道具を使う縄文人(イメージ)


磨石類(いろいろに使いました。)


埋甕(平出遺跡)


さまざまな縄文土器

いろいろな土器のすがた・・・?

土器展示室どきてんじしつに入るとびっくりすることがあります。たくさんならんだ土器は、それぞれ形や文様もんようがことなります。
縄文人がなぜこの器に、この絵やかざりをつけたのか・・・?思いがめぐります。
飾りはみる人の心で、女神の姿すがたのようであり、おそいかかるヘビ、キバをむくイノシシ、
また、宇宙人うちゅうじんのようでもあります。なぜ、ヘビやイノシシなのでしょうか・・・?
土器の飾りや文様をじっくりみてみましょう。
土器の形や文様は、どこでつくられたものなのかをさぐる手がかりになります。また、土器をつくる粘土ねんどをよくしらべてみると、細かな石粒いしつぶがふくまれていることがあります。これも、つくられた場所をしらべるヒントになります。
一つの遺跡から、遠くはなれた地域の特徴とくちょうをもつ土器がみつかることがあります。
縄文人は、土器を背負せおいい、いくつもの山をこえ、よその地域の人々と交流こうりゅうしたのです。


顔のある土器(俎原遺跡)


顔のある土器(平出遺跡)


顔のある土器(小段遺跡)


深鉢土器(剣ノ宮遺跡)


深鉢形(ふかばち)形土器(剣ノ宮遺跡)


有孔鍔付(ゆうこうつばつき)土器(平出遺跡)

この土器、なにに使ったの・・・?

さまざまな形や文様もんよう土器どきがある中で、とても不思議ふしぎな土器がみつかっています。
釣手土器つりてどき」とよばれる土器です。
うつわの中のそこに、お皿のようなところがあります。そこにかぶさるようにかざりがつけられ、まどが開けられています。全体は、なにかのすがたのようであり、顔のついたものもみつかっています。
さて、これはなににつかわれたのでしょうか・・・?
釣手土器の内側にススがついているものがありました。きっと、お皿のところで、動物や植物のあぶらともしたもので、縄文時代のランプではないかと考えられました。
釣手土器(レプリカ)に油をそそぎ、灯してみました。部屋をくらくすると、ほのおの光があふれだし、釣り手飾りのかげが広がり、神秘的しんぴてき空間くうかんがうまれました。
縄文人は、自然界しぜんかい偉大いだいな神へのいのりの道具としてつかったのかもしれません。


釣手土器(俎原遺跡)


さまざまな釣手土器

縄文人の狩りのアイテム・・・黒曜石

縄文人の大切な道具どうぐのひとつに石器せっきがあります。
木や食べ物を切るとき、穴をるとき、そして、動物をるときの道具です。木をけずって、新しい道具をつくることもできます。
狩りにつかう石の道具は、「せきぞく」「石斧せきふ」などとよばれ、矢尻やじり、おの、ナイフなどとしてつかわれました。
この材料ざいりょうとなる石に「黒曜石こくようせき」があります。黒曜石は、天然てんねんのガラスで、れた面がするどく、加工しやすい特徴とくちょうがあります。
しかし、黒曜石はどこでも取れるわけではありません。火山のマグマが急にやされたことによりできるもので、その場所はかぎられています。
縄文人が黒曜石を取った信州の産地さんちは、八ヶ岳西山麓から霧ヶ峰までの地域です。「星くそ峠」「星が塔」などの名前がつけられ、山道がキラキラとかがやき、られたあとがのこっています。
黒曜石は、とてもすぐれた材料であり貴重きちょうなものでした。自分のところでは手にはいらない縄文人は、産地さんちから取りよせたようです。信州産黒曜石が、遠いところでは北海道でみつかっているのです。
ヒスイ(糸魚川市姫川)と同じように、日本列島のいろいろなところにはこばれていったのです。


黒曜石のふるさと 星くそ峠


黒曜石

「森の文化」がうまれた縄文時代・・・?

中部高地ちゅぶこうちとよばれる八ヶ岳西南麓からはたくさんのは縄文遺跡がみつかっています。
今から13,000年前、氷河期ひょうがきがおわり、縄文時代中ごろになると、気候きこうはだいぶあたたかくなり、海は、陸地りくちの奥まで入りこむようになりました(東京の一部も海でした。)。これを「縄文海進じょうもんかいしん」とよんでいます。
気候が大きくかわると、海から遠い中部高地にも大きな変化がありました。野山は、ドングリ、クルミ、クリなどの落葉広葉樹らくようこうようじゅの森となり、そこにはたくさんの自然のめぐみがもたらされたのです。
イノシシやシカなどの動物や木の実など山の幸を食料としていた縄文時代は、気候の移り変わりが、直接、縄文人のくらしに大きな影響えいきょうをあたえました。
縄文人は、食料のえやすい場所に続けてすむようになり、まわりに、クルミやクリなどの木をうえ、実がなると土器に入れ、掘立柱建物ほったてばしらたてもののようなところにたくわえるようになりました。ヤマイモやエゴマなどを育てたことがわかる遺跡もみつかっています。
いつでもたくさんの食料しょくりょうがえられることで、多くの縄文人がくらせるようになりました。
自然へのいのりやめぐみに感謝かんしゃし、みんながおだやかにくらせるようねがう、まつりがうまれたのかもしれません。
縄文遺跡でみつかる土器や石器は、そんなことをかたりかけてくれます。


もっと 縄文 !

チャレンジ!まが玉づくり

縄文時代のアイテムといえば「まがたま」です。
縄文時代のおわりのころから、弥生時代やよいじだい古墳時代こふんじだいとつくられました。
まが玉は、とても不思議ふしぎなカタチをしています。動物のキバのようであり、夜空の三日月のようでもあります。
まが玉は、とてもかたいヒスイでつくられたものがみつかっています。
ノコギリやヤスリのない時代にどのようにけづり、あなをあけたのでしょうか・・・?
このなぞにチャレンジするのが「まが玉づくり」です。
「勾玉づくりセット」を利用し、まが玉づくりにチャレンジしましょう。

ざいりょう

(やわらかい石です。みがくとつるつるし、少しすきとおるようです。)

どうぐ

  • ノコギリ(糸ノコ)
  • 紙やすり
  • ほそひも
  • えんぴつ
  • 水(器に入れて)
  • 軍手

※滑石(あなのあいたもの)・紙やすり・ひもは「勾玉づくりセット」として、平出遺跡公園ガイダンス棟で売っています。
【勾玉づくりセット:1個100円】(おうちの人と相談してお出かけください。)
※ガイダンス棟はお休みの日があります。電話(52-3301)で確かめてからお出かけください。

ようい

  • しっかりした机の上で、まが玉づくりをします。
  • 石を切るときは、軍手をはめます。(手を切らないように!)
  • 石を削った粉入れ袋、粉をふくぬれタオル、水の入ったボールなど
  • 石を削った粉を吸い込まないよう注意!(マスクをつけてもよい。)

つくり方

つぎのファイル「勾玉づくりセットを使ったつくり方(PDF:216KB)」を見てください。
(わからないときは、平出遺跡公園ガイダンス棟へ電話をしてみてね)


身につけた飾りもの


まが玉セット

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お問い合わせ先

平出博物館
電話:0263-52-1022 ファクス:0263-52-1295

ご質問、ご提言は「しおじり声のひろば」からお寄せください

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以下フッターです。

塩尻市役所

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